障害者雇用を社会的責任として考えるべきことなのか

今日(2018/10/22)のニュースで「障害者雇用水増し:省庁28機関3700人 第三者委報告」として取り上げられていた。

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単純にけしからんという話で済ますような話でもない。
単に、障害者雇用を社会貢献としてしか捉えていない今の状況がゆがみをもたらしているのではないかと感じる。

法定で定められた障害者雇用を満たすだけなら、適当に障害者を雇用して簡単な作業をさせておけば良い。ひどい言い方をすれば、邪魔にならないように手を打てば、会社としてはそんなに損失にはならない。

一定の仕事をしてもらって、会社をバリアフリーにしていますというポーズでも会社の評判は上がる。会社の中でどんな働き方をしているかなど外からはわからない。

行政はそうはいかないだろう。
簡単な仕事の大部分は機関の目に見えるところでの仕事になる。
バックヤードの仕事は知的な仕事が多くなる。
障害者ができる仕事はそれほど多いわけではない。
今後増やすと言っても、仕事のできそうな障害者の奪い合いになる。

人事施策の中で「障害者」をどう位置づけるのかの戦略がないことが問題を引き起こす原因ではないのだろうか。

(1)平等でないスタートライン
 聴覚障害、視覚障害、知的障害のある方々は、そもそも健常者と同じ教育ルートに乗っていないので、今の大卒一括採用の枠には入れない。
 また、多くの職種は、四肢が正常であることを前提としているので、応募しても選考のまな板にものせてもらえないことが多い。
 そもそも。採用に関しては平等ではない。そのため、採用を目的とした人材市場が異なってしまっている。しかし、障害者専用の人材市場は本末転倒だろう。
 障害者であろうと無かろうと、能力をベースにした人材市場を構築すべきだ。

(2)能力評価ができない組織側の問題
 そうした、能力ベースの人材市場が難しい一つの理由は、そもそも自社の組織能力を高めるための人材の能力を定義できていないことがある。
 何ができるヒトがいれば当社の競争優位が確保できるのかの議論が不足すれば、よく言う目標管理での評価項目が財務に偏ってしまい、何の評価をしているのかもわからなくなる。
 能力とは何かを定義できない組織が能力評価ができるはずはない。

(3)育成システムの欠如
 障害者を能力が低い下位階層の社員と見下しているから彼らができる仕事を探そうとする。そうではなくて、彼らに期待する仕事を定義し、その能力が無いなら彼らに応じた育成システムを作るべきなのだが、私自身はそうしたシステムを見たことがない。
 障害者向けの訓練施設などを見たことがあるが、正直そのような技術のニーズがどこにあるかわからない。
 一般的な能力開発ではなく、その会社固有の働き方を開発しなければならないだろう。

 こうした問題と絡めて、ダイアモンドオンラインでも興味深い記事があった。

行政の障害者雇用水増しが民間企業を苦しめる理由
https://diamond.jp/articles/-/182876

 さて、最初の命題「障害者雇用を社会的責任として考えるべきことなのか」に対しての答えは単純だ。
 障害者かどうかの区分で人事制度を考えないことだ。
 人事制度をもっと単純化すべきだ。同時に個人ごとの対応に変えるべきだ。
・我が社の未来に貢献してくれると言っている人を採用する。
・彼らのできることできないこと、期待することを明確にすること
・それにふさわしい教育訓練と配置を行うこと
・そして報酬をふさわしいものにすること

やらない理由を探してはいけない。

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