「ひきこもり」は状態ではなく病気と考えた方が良い

中高年ひきこもり61万人 内閣府が初調査
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43067040Z20C19A3CR0000/

同じ話題は朝日新聞でも取り上げられていた。
家内と話をしていて、
・就職氷河期の人たちかな
・引きこもりって、鬱かもしれない
と言った話をしていて、家族にだけ負担をかけるのは無理ではないかとの意見だった。

退職がきっかけで引きこもりになる人もおり、こうしたジョブマッチングの失敗で歯車が狂ってしまうことは、どんな人にでもあり得る。

私自身は、最初の会社を5年程度でやめて、その後は会社員という生活はしてこなかった。
「会社員として給料をもらう」という生き方以外に、自力で何かをしてゆくという選択肢もいろいろあるのだろうが、そうした思いでやってゆこうとするのは難しいのだろうか。

物事を成し遂げるためには、「知識・技術・意欲」というものが必須だというのは不変的なことだと思う。
そのためには、幅広い知識をもち、世界観を醸成し、行動に起こすと言うことが条件になる。

論語の中では、こうしたことをなすためには「教養人」になりなさいと説いている。
引きこもりであっても、本というものを通して世界の扉を開くこともできる。

単に目を閉じているのではなく目を開けて世界を見てほしい。
とはいえ、そう簡単ではないから「引きこもり」になるのだろう。

さて、我が家のことを考えると少し不思議な状況かなと思う。
妻は外で仕事をしているわけではないので、買い物にはゆくものの、一日の会話は私だけになることが多い。私自身を振り返ってみても、「家族以外の人に会う」機会は激減している。打ち合わせなどもメールでできるし、会議などもスカイプで済ませられる。外出しない(自宅から出ない)という点では引きこもり予備軍だ。
IT化が進んでしまうと、形式的には「引きこもり」になってしまう。さてさて、私と妻の未来は立派な「引きこもり老人」かな。

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