ヒト-異端のサルの一億年

アイアイファンドの代表の島先生の最新刊です。

ダーウィンの進化論にくみせず、自身の信念で研究を進める島先生ならではの書籍。
下記の記載が帯にあり、楽しみな一冊です。

我らも、アイアイやオランウータンのようなものだった

一億年前、インドとマダガスカルからなるレムリア大陸で霊長類は産声を上げた。2000万年前には東南アジアの失われた大陸スンダランドで類人猿が進化し、アフリカに到達したその仲間から人が生まれる。華奢な骨格と裸の皮膚、巨大脳を持つ、異端なサル=現代人は、いつ、どこで生まれたのか。そして日本人の祖先はどこからやってきて、どこに行こうとしているのか。サルからはるかな足跡を追う。

ヒト-異端のサルの一億年(第一章を読んで))

島先生は、自分の感性などを大事にする人で、人の理論をそのまま鵜呑みにしないということを貫いている方だ。

かつて、「ダーウィンの進化論」を否定していたことも思い出す。

一般的には、人類の起源はアフリカ大陸であるというのがおそらく多くの人がいまだに信じている事柄だろう。
その事柄から、「マダガスカルの霊長類はアフリカ大陸から渡ってきた」ということを説く人もいるが、先生は、それは無理だろうという考え方を提示されていた。

かつて地球はゴンドワナ大陸という単一の大陸があり、そこから大陸移動で様々な大陸が生まれている。
先生の論は、そこの過程で分離していったレムリア大陸(今のインドあたりか?)を起源と考える。

それを裏付けるものとして、21世紀の分子生物学者によって作成された分子系統学(平たく言えば哺乳類の系統図)から、アフリカに霊長類はいなかったことが証明されたことがあるようだ。

孫引きで申し訳ないのだが、原猿類研究の権威、R・D・マルチンの以下を引用する。

分子系統学の結果からアフリカに固有のアフロテリア(アフリカ獣類)には霊長類が含まれていないことから推測すると、霊長類の起源はそことは別の場所であろう。9000万年前という年代で原猿類の起源地としてふさわしいのはインド-マダガスカル大陸であり、アフリカではない。レムール類はインドとマダガスカルに分かれたときに生まれ、ロリス類はインドとアジアがぶつかった後、始新世の間にアフリカに到達したのだろう。

科学技術が発達していないときにいろいろな推測がされたのだろうが、新しい知見で学説を見直すことも必要なのだろう。

第二章 歌うオランウータン

『オランウータンは歌を歌う!学者はそれをロング・コールと呼ぶ。』

で締めくくられる第二章は、島先生のオランウータンに関する観察・洞察になる。
この大型類人猿の、とても破砕できそうもない木の種子を食べていることから、その大きな体形の秘密に迫る記述は興味を引く。

また、アフリカ大陸への類人猿の移動についても、下記の記述があり、かつてはアフリカ大陸がユーラシア大陸とつながっていなかっという点も興味深い。

中新世初期の2000万年前には、ユーラシアとアフリカ大陸がゴンフォテリウム陸橋によってつながった。・・・この陸橋は、それまでゾウやハイラックスしかいなかった孤立したアフリカに偶蹄類や食肉類そして霊長類を流入させ、アフリカはほとんど一億年の長きにわたる孤絶のあと、ユーラシア大陸とつながった。

地球の歴史を何千万年という視野で見たときに、なぜスマトラの密林はそれを維持し続けることができたのか。
動物が何を主食とし、そのための体の部位がどのように対応したかの視点でヒトというものの起源を探る物語は続く。

第三章 笑うゴリラ

ゴリラの主食は何か?
という問いかけから始まるこの章では、気候や植生の変化により類人猿がどのように絶滅し、また分布していったのかを垣間見ることができる。

ヴァレシアン・クライシスに以下のくだりがある。

しかし、このアフリカの類人猿第二世代の時代は短い。アフリカでは900万年前以降、再び類人猿類の化石の空白時代に入り、次に類人猿化石が発掘されるのは600万年前まで待たなくてはならない。約300万年間の空白時代が、ここにある。
このアフリカの類人猿類化石の空白期の始まりと同期して、ヨーロッパでは類人猿がほとんど絶滅しただけでなく、哺乳類層の大絶滅と転換が記録されている。

こうしてみると、単純に類人猿といっても系統としてはかなり複雑であり、また気候変動などにより絶滅した種もあり、分布が限定されていったこともうかがえる。

この章の中では、相変わらず島先生の、サルに対する愛情は健在であり、逆に人間に対しての憂いを感じる。

アフリカでのここ数十年でのゴリラに対する虐殺行為は本文を読むと悲しくなってしまう。

人間だけが異様なのかと思い悩む。

第四章 類人猿第三世代のチンパンジーとアルディピテクス

オランウータン、ゴリラと続いて、中新世後期(700万年前)から鮮新世のはじめ(400万年前)のアフリカの類人猿第三世代に着目するのがこの第四章。

この時代にゴリラに加わりチンパンジーが出現した時代のようだ。
島先生のアプローチはやはり食べ物。

類人猿たちは、寒冷化した中新世の終わりの植生に対応しながら生存する方法を模索しなくてはならなかったが、チンパンジーの選んだ道は、類人猿の本来の生活圏である熱帯森林にすんで、売れた果実を主食とすることだった。

寒冷化と乾燥化の中で生活圏をどうするかによって、絶滅を回避で着るのかが決まってくるのだろう。

この時期に出現した類人猿として現在のヒトにつながるのではと考えられている類人猿に「アルディピテクス」がいる。

アルディピテクスの生息域は、「森が小さな区域をなす森林地帯」、または、「森林の下層が草になっている湿った冷涼な森林地帯」でヤシなどを食してたようだ。これは、足の骨格などから推測されるようだ。

チンパンジーもアルディピテクスもそれほど大型の類人猿ではない。そのため、外的や他のグループとの縄張り争いを制するためにある種の社会性を保有することになるのだが、少し暗い気分になる。

「騙す」、「裏切る」、「仕返しする」などの行動が見られるようだ。
この辺は、ご一読もらいたい。

本文のなかの「チンパンジーのオスが心の中に秘める暗く深い闇の知能」という一文は戦慄させられる。

第五章 類人猿第四世代 鮮新世のアウストラロピテクス

「420万年前、アウストラロピテクス族のもっとも古い種族、アナメンシスが登場する。」

第四章で登場した、アルディピテクスはこの時代にはもういない。
代わりに登場したのが、このアウストラロピテクスになる。

アジアの熱帯森林が長く続いていたのと異なり、アフリカ大陸あ乾燥が続き、サバンナとなっていった。
果実種子やシダなどを主食とした類人猿類は絶滅する運命だったのだろう。

この類人猿類は、二足歩行をし、手で物をつかむことができるようになっていた。
「ルーシー」という名前で発見された時には人類の起源と騒がれたようだ。

なぜ二足歩行が必要だったのかという解明を、その主食から解き明かす島先生のアプローチはここでも発揮される。

臼歯のエナメル質が厚いこと、犬歯がなくなっていることなどからその主食を骨としている視点は、おそらく他の研究者とは一線を画すのだろう。

社会構造の推定などもなるほどと思う。
むしろ、その凶暴性にいささかの不安を感じる。

アジアの類人猿とアフリカの類人猿の差異はそのまま現代人の東西に当てはまるのではないだろうかという不気味さがある。

章の最後を引用する。

この旧タイプの類人猿を保存し続けるアジア世界に対して、アフリカの類人猿相の激変は、苛烈な気候条件にさらされるアフリカの大地というものを否応なく見せつける。骨を食う類人猿というニッチは、確かにそれまで空白だったろうが、類人猿のこれまでの歴史からはまったく想定できない主食である。それくらいなら、草を食うゴリラの選択のほうがまだ納得できる。人類への道はそれほど厳しいものだった。骨食!そこまでしなくては生き延びる道はなかったのか!と。

第六章 ホモ・エレクトゥスとハンドアックスの謎

初期人類(アウストラロピテクス類)の雄は雌の二倍ほどもあったが、エレクトゥス段階では雄は雌の1.2倍程度になっている。(略)何かが起こったのだ。(西田 2007)

から始まるのが第六章になる。いよいよ原人の世界になってゆく。

前の章、第五章では、アウストラロピテクス類が登場する。
アフリカの過酷な環境の中で、骨を主食とする選択肢を選び、それに伴い社会生活の様式が規定された物語は、必ずしもうれしい話ではない。
もしかしたら、人類の攻撃性はこの時にDNAとして組み込まれたのではないのかと不安になる。いまだに、収まる気配のないアフリカの動乱がこれに起因するとしたら、何万年も変わらないということになるかもしれない。

この章では、激変する更新世の中で、アナメンシスとアファレンシス、アウストラロピテクスに続き、いよいよ人類に近づいてくる類人猿類、ホモ属が出現する。

何を主食としていたか。どんな狩猟をしていたのか。

雄と雌の役割の違いなど興味のある章になっている。

さて、この原人。前の原人との肉体的な差異などはあるものの、その特徴づけるものとしてハンドアックスがある。
これは、実際に本を見てもらえるとわかるが、巨大な石斧を手に持つようなもので、現在人が想像するものをは少し異なるかもしれない。

特徴として以下を上げている。
・謎その一 巨大さ
・謎その二 定型的な形
・謎その三 分布の特異さ
・謎その四 使用痕のないこと
この特徴をどう解き明かすかは、本を読んでのお楽しみだろう。

興味を引くのは、こうした特性を持った原人たちの社会だ。
以下に引用する。

狩猟は一度に大きい食物を獲るハイリスク・ハイリターンの性格を持った活動で、殺された獲物は多くの捕食者を引き付ける。その中で最も厄介ないのは同じ種の他の群れであり、ライオンがネコ科の中で唯一群れを作るのはこのためである。したがって、ライオンの群れサイズは同種の攻撃を防ぎ、獲物を効率的に利用できるサイズにまとまる傾向がある。あまりに小さいと他のグループの攻撃に弱く、あまりに大きいと獲物が十分に行き渡らないからである。
原人たちの社会は、ライオンの群れ構造とよく似通っていただろう。

こうして読み進んでいると、群れをつくということと社会構成するとは根本的に異なるように見える。
先の章で見たチンパンジーの群れの不気味さや、単に得た獲物の配分のことを考えた群の構造、同じ種が脅威となるという世界観。
これの延長線上に、何が待っているのか。少し考え込んでしまう。

第七章 格闘者ネアンデルタール

表題の「格闘者」とは何を意味しているのだろう。

ネアンデルタールは50万年前から3万年前まで生きていたので、ホモ・サピエンスと重なるという。

どんな特徴を持っていたのかというと、一言でいえば、大型の野生のサルといえるだろう。

(「体の重武装化」より引用)
ネアンデルタールはホモ・サピエンスでは身長の高いヨーロッパ人と比べても見劣りはしないし、あるいは高かった。・・・ヨーロッパに生息したネアンデルタールの生活方法は、体の重武装化だったといってよい。これに比べるとホモ・サピエンスは、むしろ体の機動化であり、比較的ほっそりした体と柄のある道具を使うような、力よりスピードを重視した生活スタイルである。

この章では、いまだ謎の多いネアンデルタールについて、DNAの分析結果や狩猟に関しての在野の研究者の言を引用するなどして、その生活スタイルや主食などを解き明かしてゆく。

前章で出てくるハンドアックスとは異なる石器についても興味深い。
同じものを作れる技術や知恵というものに驚く。
一方で、有利に働いていたはずの、大型化が結局は絶滅を余儀なくされるということは多くのことに当てはまり考えさせられる。

それにしても、ネアンデルタールとホモ・サピエンスの共存による交配の可能性などは少し驚く。
種というものはどうやって生み出されるのだろうか?
進化論の言うように、ある種がだんだんと分化していっているようには見えない。
ある日(地球規模の年数だが)、突然その種が出てくるように見える。

気が付けば、異なる種が隣にいたりするのだろうか?
お互いに殺しあうことを厭わない「人類」と今言っているこの種は、いったい何だろうと考えさせられる。

第八章 ホモ・サピエンスの起源

いよいよ現代人につながるホモ・サピエンスの話になる。
このホモ・サピエンスは、それまでの類人猿と異なり、毛皮を身にまとわない裸の動物であるところに特徴がある。

『ホモ・サピエンス以外に毛皮で覆われていない類人猿はいない』

では、このホモ・サピエンスはいつ頃発生したのだろうか。
最近の遺伝学の発達により、17万年前にアフリカを起源として発生したことがわかっているようだ。

科学的アプローチでいろいろなことがわかってきているのは興味深い。
また、ホモ・サピエンスがどうやら遺伝的な突然変異であるようだ。

しかし、この章でも指摘しているように、「裸」が生存競争の中で有利に働くことなど想像できない。
先行する、ホモ・エレクトゥスやネアンデルタールにくらべて、どうしようもなく脆弱であることは明らかなようだ。

ここでも、島先生は、「食」を中心に解き明かす。

『ホモ・サピエンスは原人たちの世界の辺縁である水辺に、新しく魚や貝類などの海棲、水棲動物、そして海藻などの水中、水辺の植物を主食とする生計手段を確保したのだった』

ヤシ科植物を主食とした猿人から、骨食、そして他の哺乳類を戦いの中で主食としてきた先行した類人猿の成功物語から、裸であることから水辺追いやられてしまったように見えるものの、こうした弱点を克服する過程で、これが結局は寒冷期の中で生き残る手段となっていったことは奇妙なことだ。

島先生の「ほほえみ」に対する評価と、「裸の二足歩行する類人猿は、悪夢の中から生まれた妖怪」との文節は興味深い。

第九章 最後の漁撈採集民、日本人-宇和海の岸辺にて

さて、本書の最終章に向けての準備の章になる。

『浮き桟橋からのぞきこむと透明度七メートル以上という明るい海に、金魚のように赤い魚や黒やブルーの、その数も知れないほどの小魚が渦を巻いていた。』で始まる第九章は、他の章に比べて長い文章でつづられていた。

アフリカ大地溝帯湖沼群を起源として約20万年前に出現した裸の現生人類ホモ・サピエンスが、出アフリカを果たし、10万年を超える旅路の果てに日本にたどり着いた物語である。

博識たる島先生の面目躍如というしかない。
氷河期をめぐる植生の変化、ミトコンドリアDNAの研究による系統関係の研究結果、石器などの出土による、日本へのホモ・サピエンスの移動など研究結果としても知らないことが多く驚かされる。

この章では意外な生き物が登場する。
「イヌ」である。
なぜ「言語」が発生したのかの推論もこの「イヌ」を絡めた論となっている。
是非一読を勧める。

さて、この章では、こうしたサルの研究に加え、警告あるいは避難とも取れる論調でヒトの闇を指摘している。
表題の『異端のサル』とはこうしたことを指しているのだろうか?

なぜ、洞窟壁画が文化として突然亡くなったのか?アイヌ文化はなぜ消滅したのかなど、たぶん想像の域を超えていない推論かもしれないが考えさせられると同時に、島先生の人間に対しての不信もうかがえる。

下記は印象的だったので引用する。

同じことではないのか?一万年前には、自然物をあさり尽し、焼き尽くし破壊しつくす農耕牧畜型、定着タイプのホモ・サピエンスの新しい波が、洞窟芸術を楽しんでいた漁撈採集民のすむ南ヨーロッパに押し入ってきたのではないか?

ホモ・サピエンスの社会は、その発生のところから少しゆがんでいて、採集を過剰に行って大型魚貝や獣たちも絶滅させる傾向を持っていた。

こうした島先生の憂慮にこたえるすべはあるのだろうか。

終章 ほほえみの力

「第二章 笑うオランウータン」から始まった、ながいながい類人猿の旅の終わりの地を日本列島に求めた本文は「第九章 最後の漁猟採集民 日本人」で締めくくられた。

分子生物学、ミトコンドリアDNAなどの遺伝学など純粋に学術的な類人猿の系譜を追いかけるだけでなく、その社会性や人間性にまで踏み込み、最後の章で「ホモ・サピエンスの社会は、その発生のところから少しゆがんでいて、」と記述しているのは島先生の問題意識の根底を披露しているのではないかと憶測してしまう。

「終章 ほほえみの力」は「語り残したことは多い」で始まり、島先生の思いなどが書かれている。内容は本書を見てほしい。

島先生との出会いは、もう30年前になる。
エネルギッシュであり、まわりを圧倒する行動力に舌を巻いたものだ。
日本アイアイファンドの代表として、今でも毎年マダガスカルに行くだけでなく、世界中、日本中を駆け巡っている。脱帽するしかない。その中で、本書のような人を引き付ける成果を出しているのは単純にすごいとしか言いようがない。

今後の活躍をどう見せてくれるのかもわくわくする。

私自身は、ここ数年、経営やマネジメントに関して、企業そのものや研究者、実務者、関連する書籍などに触れる機会が多かった。その中で、感じることは、一般の経営書は何かを間違っているのではないかという思いだ。
能率や効率、強力なリーダーシップ、といった書籍にちりばめられる言葉は、否定はしないが、もっと大事なものがあるのではないか?
「企業経営は、その発生のところから少しゆがんでいて、」と思わず読み替えてしまった。
「イヌとの共生の話」、「チンパンジーの心の闇の話」「ほほえみの話」など考えさせられることも多いので多くの人に読んでもらいたい。

さて、日本アイアイファンド。
寄付で成り立っているので、共感してくれる人を多く求めている。
ぜひ、ホームページを訪れていただき賛同を願う。

日本アイアイファンドのホームページ