プラスティック製品にも経路依存性はあるのか

■ 政府の調達ルールは突然出てくるわけではない

先日、「食堂で「使い捨てプラ」禁止に 省庁など方針 政府決定」という記事を見た。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO4105615008022019CR0000/

昨今のプラスティック製品への排除の傾向を受けて突然の政策のように見えるがそうとも言えない。

こうした政府の動きというのは一連の法律の枠組みの中で行われる。
念のため、記事の先頭部分を引用しておく。

2019/2/8
政府は8日、ストローや皿といった使い捨てプラスチック製品について、中央省庁など国の関連機関で営業する食堂で使うことを原則禁止する方針を決めた。テナントとして入るコンビニエンスストアに対しても、レジ袋などを環境に配慮した製品に切り替えるよう求める。使い捨てプラによる海洋汚染が世界的に深刻な問題になっており、政府も抑制の取り組みを強める。

同日午前の閣議で、環境に配慮した製品の調達を国に義務づける「グリーン購入法」の基本方針の見直しを決定した。4月以降の新たな契約から適用する。

原田義昭環境相は閣議後の記者会見で「地方公共団体や産業界にも理解を広めていきたい。国際的な動きに負けないように運用を厳しくしていきたい」と話した。

グリーン購入法自体は平成12年5月に循環型社会形成推進基本法の個別法のひとつとして「国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律(グリーン購入法)」が制定されたもので突然の物ではない。

また、すでに環境省はSDGsの推進も進めており、環境問題としても当然脱プラスティック製品に取り組むことは予想できる。

おそらくは、各方面にいる人々はある程度予想できたのではないだろうか。

■ 使い捨てプラスティックは経路依存性はあるのだろうか

問題は、これが市場構造を変えるかどうかだろう。

あるイノベーションがいくら優れていても浸透しない場合がある。よく言われるのが「経路依存性」である。
例として取り上げられることに「QWERTY」キーボードがある、パソコンにつながっているタイプの文字位置が左から「QWERTY」になってっているためにこの呼び名がある。

この配列は、人間工学的に最適な物ではなく、単に当時のタイプライターのハンマーが絡まないようにと言う配慮でできただけである。この配列にしなくてはいけない理由が当時のタイプライターが持っているハード的な制約であったので、これが解消された段階で、もっとタイプしやすい配列の変えることは可能であったが、すでに、タイプライターの製造ライン、タイプライターの学校のカリキュラムなどは、関連する事業ルートがこの「QWERTY」配列を前提にしてしまっていたので変えられないと言うことだったようだ。

これを経路依存性と呼ぶ。

さて、今回話題になった「使い捨てプラスティック製品」であるが、これが意外と多いのに気がつく。

ストローなどはその代表なのだが、コンビニの弁当などについてくるナイフやフォーク、惣菜を入れているトレイや蓋(ボックス型容器と言うらしい)、アイスコーヒーの蓋などがある。またレジ袋などもこれに含まれている。

これをなくすと言うことは相当難しいのではないかと思う。すでに生活スタイルの中に、こうした「使い捨て」の製品が入り込んでしまっている。レジ袋をなくす取り組みがなかなか進まないのもその理由だろう。

従って、「使い捨て」のこうした製品は無くならないだろう。
経路依存性が高そうだ。

■ イニベーションは業界を一変させる破壊力がある。

その代わり、プラスティックにはイノベーションが起きそうだ。
プラスティックの一番の代替品として考えられるのは紙だろう。

さすがに透明な紙は作れないが、そうでないもの(ナイフやフォーク、ストロー、トレイなど)は確実に代替できるかもしれない。紙の射出成形という新しい分野ができるかもしれない。

また、植物由来の材料でプラスティックの代替品が作れるかもしれない。
もっとも食べ物で食べ物以外の製品を作るのはあまり賛成できないが、何か手はあるかもしれない。
捨てていた貝殻からチョークを作り出したようなアイデアもほしい。

さて、こうした製品の構造が変わると既存のプラスティックに事業が依存していた企業は危機感を持たないといけない。
プラスティックの成形品を作っていたところはその仕事自体がなくなる恐れもある。
代替のプラスティックは強度や熱特性が異なるのであれば、例えばレジ袋などを作っている生産ラインを変えなくてはならないかもしれない。

資金が潤沢でない企業は持ちこたえられないかもしれない。
密かに、統廃合や新規企業の台頭があるかもしれない。

■ 他山の石と考えていると危険

かつてCDが世の中に出たときにレコード針をつくっていたナガオカは甘く見ていたかもしれない。あっという間にレコードはなくなり、レコード針は特別な需要担ってしまった。
音楽をCD等の媒体で購入するひとも少なくなっており、例えば私の息子はすべてダウンロードだ。

私は、すでにAmazonMusicで、聞きたいときに聴きたい曲を探して聴くスタイルになっている。

デジタルカメラはフィルム業界を壊滅させた。

身の回りを見ると、徐々に公衆電話や電車の切符売り場等は減ってきている。
情報収集では、雑誌や新聞をデジタルで確認する時代になっている。
レシピはネットで確認する。
スマフォがあれば目覚まし時計がいらない。

自分の事業が明日もあるという保証はない。
「経路依存性」などと安心してはいけない。

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