「ヘミングウェイ 我らの時代 短編集 高見浩一訳」
ヘミングウェイの文体は、情景をそのまま淡々と記述し、それがどのような意味を持つかなどの表現はほとんどない。いくつか会話が挿入されるモノの、感情を表現すると言うよりは「起きたこと」や「して欲しいこと」を記述するだけであり、意図した物語にはなっていない。いわゆる娯楽小説ではなく馴染みのない文体だ。こうした表現方法にはなれておらず読むのには苦労するが、数多く読むともう一度読み直したい気分になる。
この「我らの時代」で扱うのは「自分の意思に関係なく殺される」と言う世界観だろうか。それはヘミングウェイが体感した戦争に起因しているのかもしれない。殺されるのは人だけではない、鱒や鹿なども登場する。抽象的には「自分の思い通りの何か」も含まれているかもしれない。
たとえば、「インディアン・キャンプ」では、医者である父親が冷静に帝王切開をする一方で、赤ん坊の父親が自殺するという場面がある。このコントラストは「生と死の不可避性」「人間のコントロールの限界」を暗示しており、「思い通りにならない世界観」を強く感じる部分でもある。
断捨離しようとしたが、もう少し手元に置いておこう。