AIの時代に求められる経営者の質の高度化(アート・クラフト・サイエンスの自動化の先にあるもの)

AIの時代に求められる経営者の質の高度化(アート・クラフト・サイエンスの自動化の先にあるもの)
AI時代に臨む経営者に知っておいて欲しいこと。

■ 経営マネジメントの普遍性

本屋で並ぶ即物的に課題解決のノウハウ本にみるものはなく、自宅の書棚を眺めていたところ、ミンツバーグの書籍に目がとまる、マネジメントに関する論を展開する識者である。
経営あるいはマネジメントは哲学としての考え方は示されているものの実装は難しく、ドラッガーなどが提唱する様々な示唆も、すべての人が実践できるわけでもなく、成功者と言われている人々も、それを維持することの難しさを感じる。
松下幸之助が創業したパナソニックも今では戦略としてリストラを行ない、ヒト重視の経営から逸脱している。優秀な経営者がいても、それを後人が維持することの難しさを感じる。「社員の物心両面を支える」としても、これをやり続けることの困難さは想像に難くない。
経営を動かすためのマネジメントとは何かという議論は百出しているが、企業には企業の個別の状況があり、ただ一つの正解な度ないだろう。それでも普遍的な考え方はあり、その一つがミンツバーグが度々示す「アート・クラフト・サイエンス」と言う考え方であろう。
マネジメントという視点では
・サイエンス(Science)
 論理性、分析、データがキーワードとなる。
 統計、財務分析、工程管理などに利用される。
・クラフト(Craft)
 経験知、肌感覚、試行錯誤という側面がある。
 組織運営の勘、現場の工夫が重要になる。
・アート(Art)
 直観、ビジョン、創造性といった言葉が対応する。
 先見性、理念の打ち出しが重要なポイントとなる。
となり、これら三つがバランスよく融合されてこそ、健全で実効的なマネジメントが可能だという考え方になるだろう。
もっとも、こうした区分にしてしまうと、最近のデータドリブンではないが、客観的事実だけが重視され、経験や感性が置き去りになってしまう恐れもある。また、最近では手仕事を支える熟練技術、経験知の汎用化で、自動化への展開がされ、大量生産への道が開かれようとしている。また、AIも実用化レベルになり意思決定支援も守備範囲に入りつつあり、「アート・クラフト・サイエンス」に関する状況が変りつつある。

■ AIの活用とリスク

かつて、情報技術が未整備であり、AIなどはまだ夢物語だった時代であれば、「アート・クラフト・サイエンス」も、いかにして人間が意識を持ってこれに取り組むかが重要であっただろう。こうした、「経験と勘」が主流だった時代から「AIの時代」へと変った事による、「アート・クラフト・サイエンス」の解釈も再度考える必要がある。
経営とは何かと言う視点で「アート・クラフト・サイエンス」という枠組みを見直す。
ここでは「サイエンス(事実をどのように把握し評価するか)・クラフト(得られた事実からどのように実務に反映させてゆくか)・アート(こうした活動で価値のある戦略をどのように生み出してゆくか)」という視点で整理してみる。
 ポイントは
 ①人間の役割(従来)
 ②生成AIによる代替の可能性
 ③限界/残る課題
とする
・サイエンス(事実の収集・評価)
    ① データ分析、調査、検証。専門家が時間をかけて分析
    ② 高度に自動化可能(自然言語処理、統計解析、可視化)・高速化
    ③ データの前提の誤り、バイアスの検出、解釈の意味づけには判断が必要
・クラフト(実務的活用)
    ① 手法の熟練化、応用の工夫。経験による蓄積が必要
    ② ノウハウの蓄積と展開、タスクの最適化支援
    ③ 経験に裏打ちされた“空気の読み方”、曖昧な現場対応は未熟。
      ただし解決しつつある
・アート(戦略の提示)
    ① 発想力、仮説思考、物語構築、構想力に依存
    ② 多様な選択肢の列挙、ストーリー案の提示は可能
    ③ 意味づけの責任・価値観の選定・世界観の設計は人間側の意思が必要
 こうしてみると、「アート・クラフト・サイエンス」は「勘と経験」ではなく、いずれもAIによりカバーできる時代になるだろう。すなわち、AIにより、自動的に情報が収集され分析される、経験知はAIが学習し、最適な業務プロセスを設計し実装される、状況判断を行ない、組織の運営を最適化する戦略を示す。
 こうした恩恵に誰でもが預かることができるとしたら、経営者は何に注意すべきなのだろうか。

■ 経営者の呪いとビッグモーター

 「アート・クラフト・サイエンス」が簡単に実装されてしまう時代。すなわち誰もが一定水準の経営ができると言うことで、「考えない経営者」が生まれることが懸念される。
経営トップの「倫理観」や「論理的思考」の欠落が表面化してくることを懸念する
 私自身は「経営者の呪い」と呼んでいることがある。
 これは、“経営の目的は理念の実現である”という本来の視座を奪う内面化された強迫観念を指し、“呪い”と呼んでいる。
 端的に言えば、「経営者は常にお金のことを考えていなければならない」と言うことである。本来は、企業はその存在意義を示す「企業理念」があり、それを実現するために経営を行なうのが経営者の責務である。しかし、それを実現するためには経営資源の再利用と極大化は必須であり、そのための原資は「お金」である。しかし、それは制約条件にしか過ぎず、それを社員に求めることは間違っている。
経営者は、組織の人々が働ける環境を整備することが仕事である。従って、お金のことを社員に義務化することは間違っている。社長が「お金の話」をすれば、その下の階層はすべて「お金の」ために動くことになる。
ビッグモーター事件などはその典型であろう。
よく云われるのは、
「コンサルタントが提示する「経営計画書」というツールを、ビッグモーターの経営層が「都合の良いように解釈し、悪用した」、あるいは「本来意図された健全な組織づくりではなく、不正を隠蔽しやすい、あるいは助長しやすい方向に利用してしまった」という文脈で議論されている。」という指摘である。そして、経営者の不善は組織全体に浸透する。これは「経営計画書の運用がトップダウン強化に作用した可能性がある事を示唆する。
従って
① 経営層の価値判断の偏り(業績至上主義・成果主義の暴走)
 ↓
② 組織制度(経営計画書など)への反映(管理指標の絶対化)
 ↓
③ 中間層の「成果以外に価値がない」思考定着(忖度と恐怖)
 ↓
④ 現場の「空気化された不正」:不正は“当然”の文化となる
と言う構造的な特徴を強化する可能性があり、こうしたリスクは常にあると考える必要がある。

■ 経営者が備えるべき資質

AIにすべてを任せると言うことは
・倫理観が属人的で、組織に標準化されにくい
・トップの意思決定は評価不能になりやすい
・チェック機能(監査・取締役など)が機能しにくい構造も多い
という経営者の機能不全を覆い隠す恐れもある。
経営者が人間である以上、その「センス(感性)」や「直感」は、必ずしも“優れている”わけではないが、結局「責任を引き受ける存在」になれるのは人間だけであると言うことに変わりはない。
結局のところ人間が人間であり続ける意志に尽きるの。
経営者自身が、人間性を磨くしかない。それは、理想を意識して、倫理性・道徳性・論理性・客観性・公平性と言った資質に目を向けることになる。
「稼ぐ奴が一番偉い」などと言う言葉は、道徳性に欠ける。
 哲学なき経営に未来はないと思っている。
 経営に哲学が求められるのは、理念なき実装が社会的信頼を崩壊させるからだ。
2025/07/02

■ 参考:ビッグモーター事件

ビッグモーターの事件で、小山昇氏のコンサルティングが俎上に上がり、彼の「経営計画書」が経営者の都合の良い様に使われていたという記事があった気がする。何か分かるかな。
このプロンプトでGeminiに訊ねた。若干編集しているが下記の通り。参考までに。
 ビッグモーターの不正問題が発覚した際に、同社のコンサルティングを手がけていた小山昇氏(株式会社武蔵野社長)と、彼が提唱する「経営計画書」が大きな注目を集めた。
 報道によれば、小山昇氏がコンサルティングを行う企業では、手帳型の「経営計画書」が社員に配布され、そこに書かれた内容を定期的に大声で読み上げるといった独自の経営手法が導入されていた。
 ビッグモーターも小山氏のコンサルティングを受けており、この「経営計画書」が組織運営の中心的なツールとして使われていたとされている。
 しかし、ビッグモーターで起きた保険金不正請求や不適切な業務実態が明らかになる中で、この「経営計画書」が、経営トップの意向を強く反映し、社員への過度なノルマ達成や不正行為を暗に助長するような形で利用されていたのではないか、という批判的な見方が浮上した。
具体的には、以下のような点が指摘された。
・トップダウンの絶対性:
 小山氏の経営哲学は「トップが『右を向け』と命じれば、ただちに全員が右を向く」といった、強力なトップダウン型の組織運営を重視する傾向がある。これがビッグモーターでは、経営陣の意向が絶対視され、不正を是正する風土が生まれにくかった、と見なされた。
・過度な目標達成志向:
 「経営計画書」に書かれた目標や行動指針が、現場の社員にとっては達成不可能なほどの高圧的なノルマとなり、それを達成するために不正に手を染めざるを得ない状況を生んだのではないか、という見方がある。
・形式主義と実態の乖離:
 「経営計画書」の読み合わせなどが形式的に行われる一方で、実際の業務現場では、顧客軽視や不正が蔓延していたとされ、書面上の理念と実態が大きくかけ離れていた点が問題視された。
このように、小山氏のコンサルティング手法や「経営計画書」自体が悪いというよりは、ビッグモーターの経営層がその手法を「都合の良いように解釈し、悪用した」、あるいは「本来意図された健全な組織づくりではなく、不正を隠蔽しやすい、あるいは助長しやすい方向に利用してしまった」という文脈で議論されている。
以上