戦略人事:キャリアパスとしての「マイクロ法人」
雇わない生き方、雇えわれない生き方
ダニエル・ピンク氏の「フリーエージェント社会の到来」という本が日本語として上梓されたのは2002年の頃であった。私自身は、その数年前に自分の意思決定を優先させたいという思いで「一人企業」で活動を始めた。当時は法人には有限会社という形態も残っており、一定程度の資本金がなければ起業はできなかったが、それでも小規模起業の道は残っており、強い意志があればなんとかなった。
同じ頃に、「雇わない・雇われない働き方を応援します」という理念のもとにインディペンデント・コントラクター協会が立ち上がり、そこに入会し、多くの「個人で働く人々」に接することになった。彼らは、元いた会社に不満があるわけではなく、「やりたいこと」が、たまたま個人を中心とした活動に向いていたというだけである。
その後(2006年)、会社法も改正され、「1円起業」も可能になり制度的な環境整備ができた。また、一人で「起業」するということに対して、これを支援する人々も現れ始めた。
今から7,8年前に、パンの販売を拡大させたいという企業からの相談を受けた頃に、いわゆるパンに適した小麦粉の作付面積の拡大とパンのお店の開業を支援するための「リエゾンプロジェクト」の話を聞いた。
このリエゾンプロジェクトでは、起業の仕方を教え、起業してからの機器の調達やメンテナンス、小麦粉の調達などをこの会社に依頼することで収益を循環させているのだと思う。もっとも起業までではなく起業後も存続させてゆかなければいけないので、顧客とのWinWinの関係構築は必須だろうし、企業であれば収益性も安定させなければならない。それほど簡単ではないということは、近くにできたパンのお店が長続きしないことからもわかる。
同じようなビジネスモデルにコーヒーローストというコーヒー豆を提供するお店の支援をしているグループのことを知った。
ここも、リエゾンプロジェクトと同じコンセプトのようで
- 開業までのノウハウを教えてくれる
- 実際の開店を支援してくれる
- 店の名称は自由
- マメの調達や機器などはこのグループから仕入れる
ということらしい。
実際にかなりの数のグループ店があるらしい。
こうした、昔なら自分ですべてをまかなうか、大手の傘下に入るしかなかったものが、自分たちのコンセプトを大事しながら起業できる環境が整い始めたと実感し始めたのが7、8年前だ。一人で何かをするということのハードルが下がったと実感し始めた頃だ。
マイクロ法人という選択肢
「インディペンデント・コントラクター協会」自体は昨年の12月に活動を停止した。会員の高齢化などもあるが、こうした特定の団体に頼らなくても徐々に一人ひとりが自分の生き方を選択しやすい社会的な後押しができてきたのではないかと思っている。
そうした思いでいたときに「マイクロ法人」という言葉を聞いた。Googleで検索すると下記のような説明があった。
マイクロ法人は、代表者1名で運営する小規模な法人を指す通称であり、法的に定義されたものではありません。個人事業主が税金や社会保険料の負担軽減などを目的に設立するケースが多く、事業拡大を主な目的としない特徴があります。
運営は少人数(主に1人): 従業員を雇わず、代表者自身がすべての業務を担当します。
事業拡大を目的としない: 一般的な法人とは異なり、個人でできる範囲で事業を行うことを目的とします。
節税や社会保険料の負担軽減が目的: 主に個人事業主が、税金や社会保険料の負担を減らすために設立します。
当然、ビジネスがそう簡単に純忠満帆な理由はなく淘汰される事業者もいるだろうが、時代の潮流として「個人が起業」することは常態化してきているのではないかと感じる。
50年ほど前は「転職」に関する情報誌といえば「Doda」しかなく、また、直接の接触ではヘッドハンティングの専門の会社があり、おそらくは「大学の卒業名簿」から彼らから転職希望者もしくは転職させたいヒトにアクセスするしかなかった。これが近年大きく変わった。
一点目は、「ビズリーチ」に代表されるように、専門性を持った人材が自らの意思で未来を選択できるようになり、実際利用者も増えているであろうことは参入する企業が増加していることからもわかる。同じように、人手(エッセンシャルワーカーを含めた役務提供者)に対しても、「Timee」に代表されるように、場所や労働時間、賃金を比較して簡単に色を選べる環境が出来上がっている。
2点目は、容易に企業ができる環境も出来上がっているのではないかと感じることだ、隙間産業的な起業はあちこちで見られる。家事代行などは、おそらくは30年前には見た記憶がない。同じように、リノベーションを絡めて地域振興のための活動として、古民家等を利用した、飲食、販売、などの業態で簡単に開業する姿を見ていることで実感する。
マイクロ法人という言葉が社会的認知を高める背景には、容易に働き方を選択できる時代の到来を予感させる。
人材の流動化と人材不足
こうした時代背景は人材の流動化を後押しし、容易な離職・転職が発生する。企業にとっては価値を生み出す人材の不足感を助長し、採用難が表面化する。ISO9001の審査の場面でも類似の話を聞く。中堅・中小企業では新卒採用は困難になり、中途採用に頼らざるを得ないが、募集をしても応募が無いと嘆く。大企業であっても、送料は確保されるかもしれないが、末端の部では思ったように配属は回ってこない。全体量が足りない。
その中で、近年話題になっているのが、アルムナイやリファラルであろう。それぞれの意味は以下の通りである。
アルムナイ採用とは、一度退職した元社員(アルムナイ)を、再び採用する手法のことです。退職者を「他社で経験を積んだ即戦力」と捉え、企業から積極的にアプローチする戦略的な採用活動です。別名「カムバック採用」や「出戻り採用」とも呼ばれ、ミスマッチのリスク低減や採用コスト削減などのメリットがあります。
>リファラル採用とは、社員が友人や知人を紹介し、選考を経て採用につなげる方法です。社員のつながりを活かすため、企業文化や社風とのマッチ度が高く、定着率も期待できることが特徴です。採用ミスマッチが起きにくい一方で、社員への周知徹底や不採用時のフォローなど、導入にはいくつかの注意点があります。
もともと、こうした採用戦術はかなり以前からあり、一部の「特殊」な採用戦術であったものが徐々に市民権を得てきたということである。
実際最近の日経新聞の記事でも「元社員採用する「アルムナイ」導入7割 「転職者は裏切り者」風潮薄まる 2025年11月13日」と取り上げる記事もあり、こうした採用手法が少しづつ浸透していることがうかがえる。
ただし、こうした採用の仕方で十分人材を補填できているかといえば、それを証明するようなデータがないのでなんとも言えない。ただ、自社を理解してくれている人材にターゲッティングできるということは大きなメリットであろう。
人手不足や人材不足はしばらくは続きそうな中で、企業も戦略の変更を余儀なくさせられるであろう。
経営資源(ヒト・モノ・カネ)を所有しない経営
マイクロ法人として起業がしやすくなっている背景には下記があると感じている。
一点目は、若い世代が「会社に縛られない」価値観を持ち始めたということだと思う。これは会社に嫌気がさしたら辞めるという単純なものではない。現在の企業採用では、彼らに「自立・自律」を求め「考えること」を要求する。しかし、その結果は、「会社がキャリアを用意してくれないなら自分で構築する」という選択肢を自ら生み出すことを意味し。結果として「会社に縛られない」価値観が醸成される。
二点目は、テクノロジーの進化であろう。製品づくりもマーケティングもITが大部分を支援してくれる。サプライチェーンや顧客へのアクセス、あらゆるものがIT化されている。これにより、“個人の企業力”を増幅したと言える。
三点目は社会インフラの整備である。厚労省・経産省のガイドラインが整備され、企業側の意識も変わりつつある。政府側も「副業・兼業・個人事業」を推進し始めた。法人税の最低税率、社会保険料の算定ルール、会計ソフトの普及などでの税務処理の軽減化は税制が小規模法人にある程度フレンドリーになったことを示す。
マイクロ法人はすでに「普通の選択肢」に近づきつつあるといえる。
こうしたマイクロ法人の常態化は何を意味するのだろうか。それは2つの意味で企業そのものの多様化を促すとと思っている。
一点目は、ビジネスパートナーの選択肢の増大である。例えば、システムエンジニアなどのIT系に焦点を当てれば、容易にパートナーの選択ができるサイトなどを見つけることができる。外部パートナーを含めたプロジェクト編成が容易くできることになる。
二点目は、それは、経営資源(ヒト・モノ・カネ)を所有しない経営である。すでに下記の理由で、経営資源を保有することでの優位性が担保できなくなっている以上、外部リソースを前提とした経営もありうるということである。
すなわち
- ヒト:すでに指摘してきたように採用難は常態化している。すでに人事部門も諦め顔のところを散見する。ヒトという経営資源が潤沢な時代は終焉を迎えている。
- モノ:技術は急速に変化している。生産設備もテクノロジーもあっという間に陳腐化する中で保有することはリスクになりかねない。
- カネ:キャッシュで持つことは安心にはつながるが、かつてのようにカネがカネを生み出す時代は終わっている。資本効率の要求が株主からある以上、キャッシュで抱え込むこと自体が許されない。
特に技術の専門高度化が言われているものの自社に専門家を囲い込めないことや変化の速度の爆上がりは時間をかけて自社で全て作るという余裕がなくなる。
「資源を持つ者が勝つ」という前提が怪しい。すべての企業がそうなれとは言わないが、選択肢として「経営資源に縛られない柔軟な構造」を志向すべきだと考えている。
戦略人事への取り組み
前項では経営資源を “所有” するのではなく “連結する” 経営であると述べた。しかしそれはどのようなものか。例えば、下記が考えられる。
- 必要な資源を必要なときに連携で調達する
固定費ではなく“流動費化”される構造。外部人材・クラウドツール・マイクロ法人・業務ネットワークを使い、必要なときに必要な能力を接続する。
- 組織の境界を曖昧にする
社員・フリーランス・パートナー企業・共同研究者など、これらを分けず、役割単位でチームを構成する。
- 経営者は「保有」ではなく「オーケストレーション」を行う
指揮者に近い。リソースを管理するより、ネットワークを調整し価値を生む方向づけをする。
では、宣言すれば、こうした企業体になるかといえば、それほど簡単なものではないだろう。そんなに都合よく、必要な資源を必要なときに連携で調達する事ができるわけではない。特に人材の調達が思うようにゆかず、「アルムナイ」や「リファラル」にすがっているだけでは成功への道筋は見えてこない。また、採用が難しいのと同時に、意図しない離職を防ぐことも難しい。
一つの解決策として、企業が積極的に社員の独立を支援する、特に、キャリアの一つとして「マイクロ法人」への活動を支援し、ともに組織能力を上げてゆくという発想が必要である。
そのためには「戦略人事」の枠組みを確立することが求められる。例えば、
- 人材育成・キャリア設計
- 独立を前提としたキャリアデザイン
- 兼業・副業の自由化
- “法人化プログラム”の提供
- 法人化支援
- 法人設立に必要な手続き支援
- 税務・会計・法務の提供
- ビジネスモデル設計支援
- 金融機関・士業との提携
- 業務連携の実施
- 元社員の法人を“公式パートナー”として登録
- プロジェクト単位で業務委託
- 高度スキル人材のネットワークを形成
などがテーマになるだろうか。もちろん、ことは簡単ではなく、負の影響としては人材の入れ替えによる効率化の低減リスクなどもあるだろう。また、具体的な制度設計は個々の企業が持つ特性によっても変わる。万能薬ではないが、一つの方向性として考えてほしい。
あとがき
離職者という負のイメーではなく、キャリアパスの一環として「マイクロ法人化」を組み込むことには企業ととってもメリットがあると思っている。
- 企業側のメリット
- 専門性を長期にわたりネットワークとして維持できる
- 固定費を減らしつつ、高度スキルを保持できる
- 新規事業や変革に強くなる(俊敏性)
- OBOGが外部からイノベーションを持ち帰る
- 個人側のメリット
- 自分の裁量・責任で価値をつくれる
- 多様な企業と関わり、スキルが広がる
- 老後も“スキルで生きられる”持続可能性
- 企業の“しがらみ”から自由
もちろん、大企業に就職し立派な仕事をして定年まで勤めるということを否定はしない。しかし、生き方は一人ひとり違う。そこには成功も失敗もない。あるのは「自分の選択の責任を自分が背負う」という事実だけである。もし、「自由に生きたい」と願うのであれば、その選択肢が揃っていることが望ましい。社会に“選択肢の多様さ”がある状態を渇望する。
マイクロ法人という社会的な流れが常態化すれば、それは嬉しい。もちろん全員が起業するべきだと言っているのではない。それでも、選択肢として自然に存在してほしい。自分らしさは、自分だけのものである。
もし、あなたが“個人が埋もれない働き方”を求め、今の働き方に「閉塞感」を持っているのであれば、ことして活動するマイクロ法人も選択肢に入れてほしい。
参照した記事など
- 元社員採用する「アルムナイ」導入7割 「転職者は裏切り者」風潮薄まる
2025年11月13日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC247EF0U5A021C2000000/