新宿の高層ビルを久しぶり見る

新宿高層ビル

久しぶりに新宿に立ち寄った。二十四節では処暑ということで暑さのピークが過ぎる頃なのだろうが、どっこい、かなり暑い。

今から50年近く前に代々木に暮らしていた。その当時はまだ京王プラザホテルができる前で淀橋浄水場がまだあったと記憶している。

級友に写真を趣味にしているのがいて、ヨドバシカメラ(当時はひらがなだったかな)にフィルムなどを買いに行区のに付き合った記憶がある。

この後、霞ヶ関ビルができ、三角ビル、三井ビルなどと新宿の高層ビル化が進んでいった。

その後、引越しなどを経てこの地に住むことはなくなり、当然用事がなければここに来ることもない。

最近では新宿に来ることはあるものの、こうして昼日中に眺めることは少ない。

なかなか壮観な眺めであり、自分の住む街、谷塚では見れない光景だ。雲が少し多いのが残念だが、それでも見上げると大都会の息吹を感じる。

大学では建築土木を専攻していた関係で、こうした高層ビルなどは一度は携わってみたいと思えるような素材ではあるが、一方で将来に向けた懸念もあった。

それは、どうやって壊すのかということだ。当時の技術では、こうした高層ビルを安全に壊す技術がないとわかっていたはずなのだが、「まぁなんとかなる」ということで建てたのだろうか?

もっとも、実際には解体技術の研究は進められており、なんとかなるのだろう。

今から考えると能天気で無責任だったのか、ある程度は目処を立てていたのかはわからない。

さて、原子力発電所から排出される「核のゴミ」。無責任でないことを祈る。

 

吉田博展を見て

吉田博展

吉田博展を見に行ってきた。

今月末まで東郷青児記念博物館で開催されている。妻が、こうした芸術的なことに造詣があり、たまに会話の中で展覧会などの情報をもらえる。急遽夏休みとした。

吉田博は1876年生まれで、水彩画、版画など多くの作品を残している。私はあまり知らなかったのだが、木版画としてとても有名で、同じ版画家として川瀬 巴水などとも名が挙がることもあるようだ。

作風は、水彩画を起点としているせいだろうか、川瀬 巴水が明るい色でシャープなのに対し、吉田博の作風は、グラデーションが際立っており、色も抑え気味でむしろ暗い。朝夕での切り取りが多いのもそのせいかもしれない。

作品は、水の揺らぎや人のちょっとした仕草なども表現されており世界の一瞬を切り取った感がある。人がかがんでいる姿勢や、雪かきなどしている動作、かまどに火をくべている所作などがある。

作品の多くに人が描かれている。当時の風俗などもわかって非常に興味深い。

もともとは、水彩画から出発しており、作風も「中心に道を奥に向かって眺め、両脇に樹木や家並みなどを配置する」という画風が特徴になっている。

初期の水彩画などはその特徴を色濃く持っているが、後期はそれが少し薄れてゆく。

水彩画といっても、その細かさは目を見張るものがあり、また水の揺らぎなどで表現される景色は立体的に見えるなどその技巧には驚かされる。「画の鬼」と称されるのもの理解出来る。

今日は少し暑いが、今月末までということなので急遽、新宿まで見に行くこととした。驚いたのがかなり混んでいたこと。平日の昼間だというのにどこからくるんだと自分たちのことはさておき感心してしまう。

展示数はかなり多いとはいえ、全部見るのに一時間半もかかってしまった。しかし、際立った技術を持った芸術家の作品というのは見ていて飽きない。機会があればまた行ってみたい。

新宿の東郷青児記念美術館でやっているのだが、ここには「ゴッホのひまわり」もある。

休日に美術館を訪ねるのも良いかもしれない。

中野康範

中野康範 プロフィール

■属性

 
生年月日  1955年4月23日 2017年9月現在 62歳
性別  男らしいといわれたことはないが「男性」です。
身長/体重  163cm/69kg メタボです。
嗜好  酒が好きです。
生息地  現住所谷塚で大半を過ごします。渋谷、日本橋、上野、秋葉原近辺に出向くことが多いです。

■履歴

 
 1979年3月  東京工業大学社会工学科卒業
 1979年4月~  株式会社東洋情報システム(現ティアイエス)入社
・数理科学、社会統計などを活用した調査、シミュレーション。
・アンケート集計の統計パッケージの開発販売
 1985年9月  同社退社
 1985年10月~  財団法人日本野生生物研究センター(現自然環境研究センター)入職
・自然環境データベースの整備。センター内情報システムの構築。
・自然環境に関する調査研究・シミュレーションシステムの開発
 1990年4月  同財団退職
 1990年4月~  株式会社システム科学研究所設立
・人材マネジメント、組織力診断に関する調査・診断システムの開発
・情報システムの構築と新システムへの移行のためのコンサルタント
・不動産鑑定評価システムの開発・販売
 1999年6月  同社退社
 1999年6月~  有限会社中野ソフトウエアサービスを設立(http://nss.watson.jp)
現在に至る

■業務分野

  • 人材マネジメント・組織力診断に関する調査・診断システムの開発
  • プライバシーマーク取得支援コンサルティング
  • IT技術活用に関するコンサルティング(情報システムの評価、管理支援)
  • 情報セキュリティ対応に関する支援
  • EDP、個別業務アプリケーションの開発
  • ISO9001に関するもろもろのことの支援
  • 事業計画策定支援

■資格等

  • QMS審査員 JRCA登録番号:A19414
  • 経営品質協議会セルフアセッサー  認定番号JQAC07418
  • 初級システムアドミニストレーター(2004年) 経済産業省
  • 情報処理技術者試験2種(1983年) 旧通産省

■参加団体など

(有)中野ソフトウエアサービス

組織名:(有)中野ソフトウエアサービス

 設立は1999年。資本金は300万円でスタート。
 有限会社という名称は今もあるが、現在の会社法では少し特殊な扱いになっている。
 有限会社とは何かについてはWikipediaの以下の記載が参考になる。
有限会社(ゆうげんがいしゃ)とは、日本において過去に設立が認められていた会社形態の1つである。2006年(平成18年)5月1日の会社法施行に伴い根拠法の有限会社法が廃止され、それ以降、有限会社の新設はできなくなった。
 会社法施行の際に存在していた有限会社は、以後は株式会社として存続するが、従来の有限会社に類似した経過措置・特則が適用される。かかる株式会社の詳細は「特例有限会社」を参照。また、社名の変更も強制されないため、現在も有限会社を名乗る企業が多数存在する。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%99%90%E4%BC%9A%E7%A4%BE より引用

設立から、およそ20年近くになっている。設立時から社員はおらず、1人で事業を営んでいる。
 1人でやっているのであれば会社という組織にする必要はないのだが、お客さんとの契約のしやすさから法人という形態をとっている。

1人でやっている気軽さと、一人でやらなければいけないストレスのはざまでの活動になる。

事業目的(定款から抜粋)

  • コンピュータソフトウエアの開発・販売
  • コンピュータにかかわる調査・研究
  • コンピュータでのデータ処理
 設立当初は、あくまでもコンピュータソフトウエアが中核のドメインであったが、2017年現在、事業内容があいまいになり広範囲になっている。いわゆるマネジメント系のいろいろなサポートというのがわかりやすいだろうか?

 許認可が必要な事業を別途行うのであれば定款の変更が必要なのだが、当面は咎められることもないのでこのままの形で進めることになる。

住所・連絡先

 
 住所  〒340-0023 埼玉県草加市谷塚町734-1-11-304
 TEL/FAX  048-925-5056
 営業時間  平日 10:00 ~ 17:00
 メール  info と nss.watson.jp を @で接続してください。
 宛先  中野 康範

補足事項

 会社を作ったのは1999年7月。今年で、18期目になる。結構長いね。
 まだ、ソフトウエアを中小の会社に外部委託するという風潮があった時代です。
 当社も、下請けとしてソフトの開発をしていました。
 また、小回りが利くこともあり、特殊な業務の用途に使うためのアプリなども開発していました。
 かなり特殊な分野で仕事をしてた気がします。思い出せるのは以下の通りです。
 ・スキル診断
 ・目標管理
 ・不動産鑑定評価
 ・教育者向け検索システム
 ・組織診断システム

いろいろなことが一変したのが2008年のリーマンショック。かなりのインパクトがありました。仲間(パートナー企業)も多くが立ち行かなくなり廃業しました。すでに連絡も取れない方もいます。
当社も事業が立ち行かなくなり、いろいろなことに取り組み今に至っています。

1人の会社なので、かなりのことがあってもなんとかやってこれましたが、従業員を抱えていたら確実に倒産していましたね。突然、お金が動かなくなり、それが一年半続いたということを思い出すと、よく今こうしていられるのかと感慨深いものがあります。

おかげで、経営をするということを実感した気がします。

閑話休題