2019年秋。能登半島まで家族旅行に行ってきました。

■ 家族旅行

我が家では、ゴールデンウイークとか夏の盛りでの休暇というのはほとんどしない。
私自身がいろいろな作業もあり、また混んでいるところに出かけるのがいやだからという理由がある。
今回は、息子が比較的長めの休みを取るというので、それに合わせて少し遠出をした。
息子もいい歳なので「彼女」でもつくってくれればとも思うのだが、仕方ない。
とはいえ、交代で運転するので、今回は和倉温泉までと云う、長距離と3泊4日という家族旅行になった。
あまりあちこちに寄らないのでのんびりした旅行になり満足できた。
とはいえ、いろいろ考えることもあり、気になったことを整理して行こう。

■ 休暇という概念

ひとり事業主という立場なので基本は休みたいと思うときに休むと言うライフスタイルなのでが、では自由に休むのかと云えばそんなじゆはそれほど無い。お客さんとのやりとりの問題や自分に課した課題などの問題もある。
現在、いろいろなことが一段落しているので、数年前に断念した「社員意識調査のすすめ」というテーマでのドキュメントを書いている。
当然お金を稼ぐ行為もするし、そのための自己研鑽、また未来投資なども行う。
そのため、定期的な休日というのはない。

今回も、あちこち見ながら思うところがあり、やはり頭の中には純粋に観光を楽しむと云うこととは別に考えることも多い。

昨日テレビを見ていたら下記のようなニュースをやっていた。

コンビニオーナー 週休1日以下85% 経産省調査
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191106/k10012165761000.html

深刻な人手不足などコンビニエンスストアが直面する課題について、経済産業省が加盟店のオーナーを対象に行ったアンケート調査がまとまりました。週に1日以下しか休めないオーナーの割合が85%に上るなど、コンビニの厳しい労働実態が浮き彫りとなりました。

とあった。

ここ一年ぐらいに問題化しているコンビニオーナーに関するニュースだ。
金銭的な余裕があるかどうかはともかく、個人営業主であれば、顧客と市場の制約が許す限りいつでも休めるし、そもそも、休みが取れないのは自分の選択だと思う。
365日24時間営業を選択した瞬間に、「休日」という概念はどこかに飛んで云ってしまう。

とはいえ、こうしたことが問題になるのは「コンビニオーナー」は名ばかりで、結局はサラリーマンと同じ発想なのかもしれない。フランチャイズという形態は、本部と店との対等な関係性をつくらなければいろいろな問題が出てきそうな気がする。

2019年・秋の旅行(1日目)

■ 立山

 

 

 

 

 

 

 

当初は黒部ダムまでと思ったのだが、時間がかかるので今回は諦めた。
宇奈月温泉に泊まる計画も考えたのだが、結局は天気に左右されるので云ってから考えようと云うことになった。

さて、早朝(五時)に家を出たおかげで昼前に立山に着いた。
ロープウエイで上まで上がるのだが、チケット売り場には各所のモニターが映し出され、今の状況がわかるようになっていた。
売り場のお姉さん曰く「雪が降っていますが大丈夫です」って何が大丈夫なのかわからないが室堂までの往復を手配した。

ロープウエイは8分ほどで美女平に連れて行ってくれる。平均斜度は25度ほどで最大で30度近くなる。眺めはイマイチだが一気に上まで連れて行ってくれる。
美女平から室堂まではバスで1時間ほど。春先に両側が行きの壁になることで知られているルートだそうだ。

いまは両側が紅葉で美しい林の中を駆け抜ける。
突然山並みが目の前に飛び込んでくる。
やはり壮大な眺めだ。

天気も良く、遠くの立山連峰や剱岳、眼前にはミクリが池が広がり、しばし時間を忘れる。
また来たいと思わせる景色だった。

2019年・秋の旅行(2日目)

■ 富山城

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルの目の前には富山城址公園があり早朝に散歩した。
歴史的なことはあまり調べてはいない。
城跡が一部に残っており、城そのものは公園としての体裁を整えるために後でつくったのだろう。

公園の入り口には城が見える。
公園の中には日本庭園なども配置され、円形からの眺めはなかなか絵になる。
お城と云えば「お堀」というのもお約束だろう。

都市の中央にこうした余裕のある公園があることは訪れる人に良い印象を残す。

街路のあちこちには、芸術作品が展示されており、もしかしたら街づくりのコンセプトの一環かもしれない。

こうしたことにお金をかけられるのは余裕があるのかもしれない。

■ ライトレール デ9000形(セントラム)

「福井モデル」という書籍には、地方での街づくりのコンセプトなどが記載されている。
富山の路面電車についても、周辺からのアクセスをバリアフリー化し地域の活性化につなげようという取り組みだったと記憶している。

車両もヨーロピアン風なものが紹介されており、一度みたいと思っていたのでよかった。
この他にも複数の車両がその個性を際立たせており、富山の豊かさを感じる。

富山市のホームページには同じアングルの写真があった。
カメラの性能差があるので、スマホの写真と云うことでご容赦。

 

■雨晴海岸からの景色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山から能登半島の西海岸に向けて走ること小一時間で雨晴海岸に着く。
道の駅の手前に見晴台があり、能登半島が一望できる。

道の駅は国道沿いの少し小高い位置に配置され海岸が一望できる。
海岸に向かい所には鳥居があり、由緒ある場所だと云うことを主張している。

海岸を降り右を展望すると昨日行った立山連峰が見えるらしい。
少し煙っているのが残念。

眼下には氷見線も走っており、偶然列車を見ることができた。

■定番の水族館

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅行での思い出としては水族館もあげておく。

息子が小さい頃から水族館は好きで良く立ち寄る。
特に観光のおすすめスポットではないのかもしれないが目にすると、とりあえず行ってみる。

のとじま水族館は事前に何も調べずに行った。
見かけは狭そうで、またクルマもそれほど多くはなかったので期待はしなかったのだが、思いほか良かった。

売りの一つに「ジンベイザメ」があり、結構大きな水槽は印象的だった。できればもっと大きな水槽の方がのびのびと泳げるのだがとも思うのだが、水槽の壁のアクリル板の強度の問題もあるのだろう。

亀やクラゲ、鰯の大群などが間近で見られる工夫がされており、なかなかの創意工夫を感じられた。
お客さんも、一体どこから来るのかと不思議なほど多かった。
カップルも結構いたので、定番なのかもしれない。

2019年・秋の旅行(3日目)

■ 和倉温泉

 

 

 

 

 

 

 

能登半島の喉元にある和倉温泉。
宿から外を眺めると、おそらくは七尾北湾だろうと思うが、能登島を囲むように紺碧の海が広がっており、その右手には和倉と能登島を結ぶ橋が見える。
観光季節からは少し外れているのだろうか、人も少なく落ち着いた気持ちで過ごせる。
温泉の質も癖がなく、朝風呂まで楽しんだ。

■ 野尻湖

 

 

 

 

 

 

以前、生物系シンクタンクにいたこともあり、マンモスの化石の発見なども話題として聞いていたので野尻湖に立ち寄ってみた。
湖面は青空が映え、遠くの社もそれなりに美しい。
しかし、設備は昭和の時代で時が止まったような寂れ感があり、とても観光地として整備されているとは言えない。おそらく二度と行かない気がする。
風光明媚さはあるのに残念。

■ 湯田中温泉

 

 

 

 

 

 

 

湯田中というよりは渋温泉に近い。
ちょうど紅葉が見頃であり、川面や階段の上にある神社にその色が映えている。
遠くに目を移すと、夕焼けに染まった山に月が昇り風情のある気分をもらうことができる。
川の水量は多く、その音は宿で部屋でくつろいでいるときにも聞こえる。
泊まった宿は、江戸時代から続いているとのことで190年の歴史があるとのこと。
先週の台風の時には、川が氾濫に一歩手前で恐ろしかったとのこと。
今までに二度ほど宿が流されたとのこと。
自然と付き合うというのはそういうことかと感心した。

2019年の秋の旅行記として。

 

IC協会のセミナーに行ってきました

昨日IC協会のセミナーに参加してきた

【10月22日東京開催】ICが気を付けたい法律トラブルとその対応

個人営業やフリーランスなどの法律トラブルに関するいろいろな話で面白かった。
ひとりでいろいろやってきた経験もあり、この年齢になると「あるある」と言う話が目白押しで興味深かった。

金銭トラブルが一番切実なのだが、これを避けようとすると契約書や仕様書をしっかりさせておくことが必要だと云うことは納得できる。

私自身はそもそもアウトプットが不確実性を伴うので、およそ業務契約書というものはほとんど作製することはない。見積書を出して発注書をもらうと云うことがほとんどだ。

かつのトラブルで大きかったのは、作業が終わった後で「あれはなくなりました」ということでうやむやにされたことと、顧客の担当者の判断で発注してしまい、納品と入金はしてもらったものの、その上司に呼び出され「こんなものは頼んでいない」と問い詰められたことだろう。

今はこれを避けるために工夫はしているが若いときは勢いで仕事をしてしまうので、こうしたトラブルに巡り会うまでは無頓着になる。

仕事上のトラブルではないが、仕事の貸し借りはしない方が良い。貸したものは返ってこない。何か頼み事をされたら、無償だと割り切ること。

さて、契約書で面白かったこと。
市販されている雛形の契約書は使えないとのこと。トラブルを想定して業務内容を細かく書くこと。実際にトラブルが起きたときにどう対処するかを記載すること。

さて、どんなトラブルが発生するか。興味のある方は講師の方に問い合わせてみてはどうか。

聞き慣れない言葉「ギグエコノミー」

日経ビジネスを眺めていたら聞き慣れない言葉が目についた。

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00057/

米国では、雇用契約を結ばない一般人がサービス提供を担うビジネスモデルを「ギグエコノミー(日雇い経済)」と呼ぶ。ライドシェア大手の米ウーバーテクノロジーズが代表例だ。

との説明があり、料理・食料品・雑貨などの配達サービスが始まっているようだ。

ある意味では民泊などもこの範疇に入るのかもしれない。
こうしたサービスは今後も拡大してゆくのだろうか。

できない理由を挙げることは容易だ。

・収益モデルが確立するのが難しい
記事の中にもあるように、配送する人への報酬コストが収益を上回り赤字の状態になりやすい。一つ一つの単位が小さい限りこの状況を改善することは難しい。

・品質保証や事故への対応
一般的に製品サービスの提供はQCDが担保されることが期待される。
確実に時間内に届くこと。頼んだ物が届くこと。支払いが確実に行われ記録されること。
等があげられるだろう。
事故が起きるリスクが高い中での信頼の確保は難しい。

さて、こうした「できない理由」はいろいろあるのだろうが、習慣や常識はだんだんと変わってくる。いつか、こうしたフットワークの軽いビジネスモデルは拡大してゆく気がする。

すでにダスキンやヤクルト販売のように、気軽に仕事をする人たちもいる。誰でもが長期雇用を前提とした働き方をするわけではない。

「ちょっと頼むよ」という程度で仕事をする人たちがいてもかまわないような気がする。

さて、収益モデルは別としても、お金のやりとりに関しては「現金」というのはいろいろな意味でトラブルを起こしやすい。
支払いはクリジットあるいはQRコードにする方が与信とセットになるので安心感がある。
シェアビジネスなどにも有効だと思う。

さて、その中で、費用の交換をポイントで行ったらどうなるだろうと妄想してみた。きっかけは、先日アマゾンが仮想通貨に参入するかもしれないという記事を見たからだ。

仮想通貨でなくともポイントというのがある。
ポイント間で交換レートが確立すると、そのポイントで報酬をもらうことは結構メリットがあるのではないか。

例えば、私が個人で「幼稚園の送迎サービス」を始めたとする。
もちろん、地域限定だ。朝夕は時間があるので可能だ。
翌日の夕方までに、「自宅住所氏名、人数、幼稚園名、送迎時間」を申し込んでもらう。
朝迎えに行き、スマホで任意のポイントを交換する。
このポイントは例えば、dポイントでも良い。
私も、dポイントで買い物をする。アマゾンのポイントに交換しても良い。

通貨としてポイントを使うことで現金を介さないと言うことは結構インパクトがあるかもしれない。

ポイントはいろいろな種類が有り、例えば買い物をしたときにつくものは企業側のサービスに対応するために非課税になると聞く。一方で、サービス開始時に付与されるポイントなどは雑収入になるらしい。

しかし、ポイントは使う前は課税されないので、使う段になって課税非課税の区別はつかないだろう。

現時点では、ポイントの取得自体は課税対象にするのは難しそうだ。

さて、「ギグエコノミー」では、個人個人にとってはスモールビジネスになる。報酬の獲得を、個人間のポイントで行うという形になったとき何が起きるのだろう。

かつて話題になった地域通貨より協力だろう。
経済のある程度の規模の物が「現金」ではない部分で占めることになる。
これは政治経済にどんな影響を及ぼすのだろう。

雇用されるリスクと機会

しばらく前だが、経団連の中西会長が「終身雇用は維持できない」というような主旨の発言をしたとの記事が目についた、

元ネタを探ったのだが甘いはっきりしなくて、なんだかアングラ的な記事しかない。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000152820.html

私自身は期間を定めない雇用契約を特定企業と結ぶという永続的は働きを前提にした活動はほとんど無く、そもそも終身雇用が、言葉としてわかるのだが実感できない。

さて、こうしたことを題材にして少し感じたことを記載する。個人的な思い込みも入っているのでご容赦を。

○定年延長と言うこと

すでに準備を始めている企業も多いだろうが、政府は60歳定年を65歳まで延長することを求めている。単純に企業側からすれば労務コストの増加を意味しており、最も簡単な施策は、60歳まで支払っていた生涯賃金をそのままにして65歳までで割り戻すことだろう。

もともと、55歳の定年を60歳まで延長する際に多くの企業が行ったことは
・50歳で役職定年にする
・55歳から暫時給与を下げて60歳時点では半額にする。
・60歳からはさらに60%水準として、高齢者継続雇用給付金で補填する

60歳以上は再雇用であり、必ずしも全員が希望するわけではないので実質的には60歳定年で、60歳以上まで働く人は限定的であったと割り切れば労務コストは政策対象外で良かったと思われる。

これが65歳までの定年延長と言うことになると話が違ってくる。
労務コストの上昇を抑えると言うことになると、大きくは二つのやり方しかない。

①組織全体の賃金カーブを緩やかにして全体を下げる
②50歳以降の賃金をさらに減額して、減額した分を65歳以上の原資にまわす。

これはあくまでも個人の意見だが、「まともな給料を払えない経営者は無能だ」と思っている。最初から労務コストという概念を入れるのは従業員を馬鹿にしているとしか思えない。

経営者の役割は「社員が能力を発揮できる環境をつくること」だという信念もあり、上記に考え方には賛同できない。

まずは、社員にどのような働き方の選択肢を提示できるのか。その上で、報酬という利益分配をどうするのかの議論をするべきだろう。

○従業員の流動性は変わるのか

さて、こうした雇用期間の延長は若年層と高年齢層では受け止め方が異なるだろう。
すでに50歳に近いかこれを超えた人々は、あと10年働くことが15年になるだけで、今更のキャリアパスは変更されないだろう。
如何に給与が減らないかにしか関心が向かわない気がする。

正直、この層の人への私の関心は薄い。
新たな人事制度を設計しても、この人々は会社から退場するまでは旧の人事制度を適用する以外にはないだろう。

問題は、今の20代の人々だ。自分自身の20代の頃を思い出したり、今は20代の息子と話をしてみたが、「そんな先の話はわからない」というのが正直なところだろう。
今から何かを準備すると言うことは考えられない。

従って、こうした雇用延長を機会に「社員にどのような働き方をしてほしいのか」の選択肢を設計しなければ、ある日突然業績が悪くなり、事業再編にあわせて「整理解雇」をしなくてはいけない羽目になる。

「40歳定年説」という論が以前に出てきていたが、入社してから40年、50年と同じ会社に漫然としがみついてゆくのかを真剣に考える必要がある。
若年層に対して、複数のキャリアパスを提示できない組織は、経営資源としての人材をまともに使えるとは思えない。

従業員も、何をするかだけでなく「どこでするか」も含めて考える必要がある。
流動性を意識しておいた方が良い。

○退職勧奨

社内でのキャリア、事業や部門の流動性を自分自身の特性として受け入れられない場合、会社からの雇用は期待できない。
最悪解雇と言うことも組織としてはやりたいだろうが、労働契約上はむやみにできない。そのため、「追い出し部屋」のようなあくどいことをする企業もあると言うことはニュースなどでも取り上げられていた。

ところで厚生労働省のサイトを見ていてなるほどなぁと思ったことに「退職勧奨」という分類があった。

下記の記載になる。

4 退職勧奨について
解雇と間違えやすいものに退職勧奨があります。退職勧奨とは、使用者が労働者に対し「辞めてほしい」「辞めてくれないか」などと言って、退職を勧めることをいいます。これは、労働者の意思とは関係なく使用者が一方的に契約の解除を通告する解雇予告とは異なります。
労働者が自由意思により、退職勧奨に応じる場合は問題となりませんが、使用者による労働者の自由な意思決定を妨げる退職勧奨は、違法な権利侵害に当たるとされる場合があります。
なお、退職勧奨に応じて退職した場合には、自己都合による退職とはなりません。
(https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudouseisaku/chushoukigyou/keiyakushuryo_rule.html)より抜粋

なるほどなぁと思ったのは、「自分でやめざるを得ない環境」をつくって手を上げさせるというのが発想なのかと、その貧困さに悲しくなる。

もっとも、企業にとってはいろいろ切実だろうと思う。
かつて在籍していた、IT企業では、COBOLプログラマーを多数抱えていたが、Object思考の広がりと言語としてのJavaのはやりで、プログラミング技術の移転が必要だった。しかし、今までCOBOLをやっていた人がすぐにJavaを修得できるわけでもなく、大量解雇を余儀なくされたことを記憶している。

ただし、しっぺ返しも食らっている。2000年問題に対応するために再びCOBOLプログラマーが必要なのだが調達できず、その年の業績に影響したと聞いている。

いずれにしろ、先を見誤って、社員を手放す事態を招くと言うことは避けたいところだろう。

○雇用で得られる物と失う物

さて、このような話を始めたのは昨日のクライアントや知人との話の中で、同じ職種(コンサルタント?)なのに、社員で活動するときは時間給で管理され、活動の有無にかかわらず給与が支払われることに対する疑問があるという主旨の意見を聞いたからだ。

私自身は、現在ISO9001の審査員を行っており、報酬は純粋に働いた日数で換算される。同じ審査員でも認証機関に所属している社員は月給なので、審査をしようとしまいと一定の給与が支払われる。

同一労働なのに全く報酬体系の違う職種があることは、ある意味どう考えれば良いのだろうと悩む。

雇用されることで給与が限定されるが、逆に保証を確保できる。生活に対する安心が確保できる。一定程度の計画性のある人生を設計できる。その中で、会社や上司に言われたことは納得していないとしても一定程度の服従を求められる。

私は人に価値観を供用されることをひどく嫌う傾向が強い。仕事をする上でステークホルダーとの調整は必要で、一定程度の服従は強要される。しかし、雇用される立場と決定的に違うのは、意思決定は自分で行うと言うことだ。

おそらくは同じ服従であっても選択の範囲が異なるような気がする。

こうした、結局は自分自身で意思決定をしたいという思いで雇用されることを拒否した結果、精神的な安寧を獲得できたというのが最大のメリットだろう。逆に将来にわたっての安定性は失った。

もっともそのおかげで、常に新しい物に挑戦し続けなければならない宿命を背負わされた気がする。これはこれで楽しいのだが、皆に勧められる人生ではない。

雇用は、自由を失うが安定を手に入れることができる。はずだが・・・自分の仕事がずっと必要視されるかどうかはわからない。安定が保証されないなら雇用はどんな意味を持ってくるのか?

働き方は自分自身で開発しなければならない時代になっているのだと思う。

閑話休題

「話し合うは簡単ではない」

先日、経営品質協議会の月例会として「株式会社JR東日本テクノハートTESSEI 訪問研究会」に参加してきた。

https://www.jqac.com/monthlies/detail/2

この会社は、日本サービス大賞の受賞組織でもあり、新幹線の清掃のパフォーマンスがメディアに良く取り上げられた会社でもある。

歴史は古く、1952に年創業と言うから私よりも年上になる。
「清掃業」から「サービス業」にコンセプトを作り直したのは、前社長で10年以上前のようだった。(記憶で申し訳ない)

オペレーションの質を高めるいろいろな仕組みは結果論なのであまり興味がわかない。どうやってそこに至ったのかと言うことの方が気になる。

結論からいえば、「社員とのコミュニケーション」と言うことになる。

思い出すのは、数年前に訪問した自動車ディーラーでのことだ。
県下に多くの支店を持つその会社の経営者は、赴任してから5,6年になったと言う。
取り扱う自動車メーカーは国内の3位、4位に甘んじており必ずしも順調というわけではない。それでもそのディーラーの業績は好調で、その秘訣を探るのも一つの関心事だった。

その社長さんが赴任してきた頃は売上げも低迷し、また社員の定着率も悪かった。
いわゆる「パワーマネジメント」が主であり、「売ってこい!」とは発破をかけるが支店長の役割だったそうだ。

「儲けてこいと言って部下が儲けてくるなら貴方はいらない」というのは今なら普通に言えるが当時はなかなか言えなかったようだ。

社長は「会社が社員をパワーマネジメントする」ではなく、「社員自ら会社をマネジメントする」に変えてきたそうだ。

結果として
・経営理念や行動指針は社員が数年かけて構築した
・会社の設備や店作りは社員がプロジェクトチームを作り実施する
・経営者は朝礼などで売上げの話を一切しない。人を褒めることを社業の中心とする
など特徴的なことを見ることができた。

しかし、こうした状態にするには時間もかかり、スタートラインに着くまでに数年かかったそうだ。その間、ひたすら「社員との対話」に時間を割いたとのことだ。

当時の「社員との対話の会議」のビデを見せていただいたが、「阿鼻叫喚」「怒号の嵐」、ふざけんな馬鹿野郎の声が飛び交う、目を覆いたくなるような惨状が記録されている。

話を聞いてくれるまでに相当の我慢が必要だったことは想像に難くない。

親会社の自動車メーカーの社長が交代したのが2012年だったと思うが、時間軸として同じタイミングだったのは偶然ではないのだろう。

根本的に働き方を変えてゆく地道な活動なのだろう。今で言えば「働き方改革」か。

さて、社員の意識を変えて組織風土を違った物にするというのは口で言うのは簡単だが、結局は「お互いを理解するために地道に話し合いを続けてゆく」我慢強さが経営者に求められるのだろう。

彼らを見ていると、とても真似はできない。
ある意味関心はするが参考にならない。

「相手がそっぽを見ている中で地道に話し合いを続けられる」という自信のある方はどのくらいいるのかな?

「考える」を習慣化することは難しい

サラリーマン経験を活かしての国際貢献~南アフリカ共和国でのJICA*派遣専門家としての経験を通して~

昨日、IC協会で表記のセミナーが開催された。
南アフリカでの人財育成の話だった。

ご多分に漏れず、教育の格差が失業を招き、結果として貧富の格差と犯罪率の高さを生み出すという構図は相変わらずのようだ。

治安は悪くないが隣の島マダガスカルも似たような構図かもしれない。未だに牛の力を借りた移動手段が自動車を持てない人たちの頼りになっている。

私自身は、JICAの専門家として活動していた友人もおり、また日本アイアイファンドでの関わりでアフリカなどの状況も多少は知っている。そのため、比較的すんなりと話を聞けた。

面白いと思ったのは、テーマとして、Implement、Improvement、Innovationという枠組みで、「考える」ための研修だったことだ、
どうやってつくるかを学ぶ、どうやったらよりうまくつくれるかを考える、その先にある革新性を考えると訳すべきだろうか。

文化的に「言われた通りにやれ」と言われ続けた人々に「自分で考えろ」というのは一朝一夕ではできないだろう。
しかし、これは日本でも同じことが言える。

整理・整頓・清潔について、かつて「なぜ必要なのですか?」と問いかけても、「規則ですから」という回答が来て驚いたことがある。

整理・整頓は「あるべきところに、それがなければ探す羽目になり、無駄な時間が発生する」
清潔は「機械の回りを汚れた状態を放置していると、油漏れが発生しても気がつかない恐れがあり、事故が起きるかもしれない」
という「なぜ」を考えておかないと、「ゴール」が設定できない。

と言う話をしたら驚かれた。

「考える」ことを日常化することは難しい。

イノベーションの原理

ドラッガー「プロフェッショナルの条件」
第6章 イノベーションの原理と方法

「奇跡は再現できない」で始まるこの章では天才的なひらめきを対象としない。
あくまでもマネジメントの立場からイノベーションを見る試みを行っている。

イノベーションは計画的に生み出せないとしても、生み出すための活動の原理はある。こうした信念がドラッガーにはあるのだろう。

彼は言う。
「イノベーションの方法として提示し、論じるに値するのは、目的意識、体系、分析によるイノベーションだけである。」

さて、この章では何が書いてあるんだろう。
少し整理してみる。

1.なすべきこと

(1)機会を分析することから始めること
下記の7つの機会について体系的に分析することが求められる。
①予期せぬこと
②ギャップ
③ニーズ
④構造の変化
⑤人口の変化
⑥認識の変化
⑦新知識の獲得

(2)イノベーションは知覚的な認識である。
外に出て見て聞くことをしなければならない。知覚を持って彼らの期待、価値、ニーズを知ることだ。

参考:ジョブ理論や顧客インサイトと一致する

(3)焦点を絞り単純な物にすること
新しい物は必ず問題を生じる。複雑だと、直すことも調整することもできない。

参考:大きく考え、小さくつくり、学習するという従来の知見と一致する

(4)小さくスタートしなければならない
イノベーションが、最初の段階からほぼ正しいという程度以上のものであることはまれである。変更がきくのは規模が小さく、人材や資金が少ないときだけである。

(5)最初からトップの座をねらわなければならない
大事業にしろといっているわけではない。そもそもイノベーションが事業になるかどうかなどわからない。
しかし起業家としての戦略は、何らかの意味において、トップの座を狙う物でなければならない。

参考:思いつきでイノベーションが生まれるわけではない。最初から未来を約束した物はない。注意深く、まずはやってみて試行錯誤を繰り返すことのみで実現できる。

2.なすべきでないこと

(1)凝りすぎてはならない
普通の人が利用できる物でなければならない。
組み立て方や使い方のいずれについても凝りすぎたイノベーションは、ほとんど確実に失敗する。

参考:すべきことの(3)に対応

(2)多角化してはならない
散漫になってはいけない。一度に多くのことを行おうとしてはならない。

(3)未来のためのイノベーションを行おうとしてはならない
イノベーションには長いリードタイムが伴うときがある。しかし、今日の医学上のニーズが存在しない医薬品の開発研究に着手する製薬会社はない。

参考:未来のに起きそうな問題ではなく今の問題に着目すること。すべきことの(2)に対応

3.成功するイノベーションの条件

(1)イノベーションは集中でなければならない
※自分の専門分野に集中することの意

(2)イノベーションは強みを基礎としなければならない
「自分や自分の会社に最も適した機会はどれか。自分が最も得意とし実績によって証明済みの能力を生かせる機会は何か」を考えること。

(3)イノベーションは経済や社会の変革を目指さなければならない

参考:結局イノベーションを既存の事業と分ける唯一の特徴はここにある。

(4)イノベーターはリスクを冒さない
イノベーションは、どこまでそのリスクを明らかにし、小さくできるかによって、成功の度合いが決まる。

さて、現在、「イノベーション」を中核としていろいろな人と意見交換をしている。
議論のプラットフォームあるいは知見といった方が良いのだろうか、様々な本に目を通すようにしている。新しい本もあれば、大分前に読んだはずだと思っている本もある。

今回は久しぶりに読んだドラッガーの本から引用した。

ホンダの工場の閉鎖は遅かれ早かれの決断だっと思う

先日からホンダのホンダのイギリスにの工場閉鎖についてBBCニュースなどは「英工場を閉鎖へ 3500人が失職の見通し」といった見出しで伝えている。

こうした記事の背景として、イギリスのEU離脱の問題と絡め、また自動車産業のすそ野が広いことから地元経済に対する影響を心配する声がある。
3,500人の直接雇用だけでなく、その地域全体の経済に影響が及ぶことは想像に難くない。

部品メーカーや下請け工場だけのことではなく、飲食や小売りサービスなども働きそこに住む人を前提にしているだろうから、広範囲に影響が出る。

だからと言って、企業は慈善事業のように工場を存続させることはできないだろう。
ホンダのニュースリリースを見ると以下のような記事がある。

 現在、電動化の加速を見据え、グローバルにおける「生産配置と生産能力の適正化」という方針で、四輪車生産体制の見直しを進めています。これは既にタイ、日本、ブラジルと各地域で着実に推進しています。また、市場動向や環境規制の強化など、各地域で大きな変化が起こる中、電動化の加速に対応できる生産体制づくりを、特に需要ボリュームが望める中国、米国、日本で進めています。

一方、欧州は、電動車ラインアップの強化が必要となる中、欧州域内での電動車生産は競争力などの観点で難しいと判断し、今後はグローバルの生産リソースをフル活用し、競争力のある商品を市場に提供します。特に、先程ご説明した、地域間での連携強化の考えに基づき、欧州は環境規制の方向性が近い中国と商品ラインアップを共有するなど、戦略的に電動化を含めた事業基盤の強化を図ります。

また、英国の四輪車生産工場、Honda of the UK Manufacturing Ltd.(以下、HUM)に関しては、現在、CIVIC HATCHBACK(シビックハッチバック)1機種をグローバルに供給していますが、今後の、グローバルでの生産配置を検討した結果、次期モデルから北米など他地域で生産する方向で検討を進めることにしました。

https://www.honda.co.jp/news/2019/c190219c.html  から抜粋

もっとも、ホンダだけでなくどの自動車メーカーも同様であり、他の自動車メーカーも工場の再編は遅かれ早かれ行うのではないかと思っている。

背景の一つには、AI+EVだと思っている。従来の「エンジン+トランスミッション」という、ある意味で「ガソリンを爆発させて走るクルマ」でなくなるということは、組み立て部品の小型化や部品点数の減少を意味しており、生産ラインの大きな変更を伴う。

技術革新が驚異的に進む中で、従来のように一度作った工場のラインをそのまま10年、20年使えるということはあり得ない。ラインの再編成が可能になるような、そんな柔軟な自動車工場が必要になる。

今ある工場を少しいじれば出来上がりということができなければ、新しい工場をどこかに立てなければならない。一時的に閉鎖することはありうるだろう。

もう一つは、工場の無人化が可能になりつつあることだろう。
すでに溶接はすべてロボットが行っている図は当たり前の光景であり、無人化はどんどん進んでいると思う。

「マイノリティレポート」という映画で主人公が自動車工場に逃げ込むシーンがある。
その中で、自動車は無人で作られ、主人公が組み立て中の自動車に隠れてそのまま逃げるというシーンにつながる。

まったくの無人化はできない話ではない。
製造ラインはすべてロボット化し、監視や細かい調整ごとは、アバターと呼べるようなロボットを配置し、管理者が本部からVRを使って操作するということは非現実的ではない。

こうした世界では、自動車の組立工が人である必要もないし、管理者も人である必要はない。賃金の安い国に行って工場を建てる必要はない。

当然、いろいろな安全対策は必要だろうが解決できない問題でもない。

そうなると、問題は物流コストになるだろう。マーケットに近いところに工場を置くか、部品調達のコストが低い場所に配置するかは当然のことになる。

私自身は、工場自体は完全無人化し、「素早く解体・素早く移動」が必要だと思っている。
工場は常に最新技術を反映させることが望ましい。研究拠点近くに常に実験用の工場を置き、必要に応じて「工場自体を輸出」できる時代が来るというのはどうかな。

読書のためのカフェと言う存在

読書のためのカフェ

https://president.jp/articles/-/24402

草加に書店と併設されたカフェがある。
タリーズとくまざわ書店のコンビだ。
昨年リニューアルされたモールにオープンしたところだ。

何回か訪れたがいつも満席近く席を確保するのが難しい。
近くにはスタバもありこちらも盛況だ。

■ 併設カフェ

こうしたカフェは、書店から気に入った本を持ち込みコーヒーを飲みながら読んで気に入ったら購入するというのが最終形だろうが、まだここまで取り組んでいるところは少ない。
すでに購入した本を持ち込んで読む形式や、人気書籍など限定された物をカフェに置き手に取ってもらうなどの取り組みが目立つ。

書店にカフェが併設されているのを初めて見たのは、10年近く前の池袋の高速道路近くの本屋だった気がする。ビジネス書が中心であり、内容も充実しており、気に入った本をゆくたびに買っていた気がする。たいていの場合にはお客さんとの打ち合わせの前後に入るので、時間調整をするためにカフェを探していたが、ここはあまり知られていないせいか席は空いており、本を購入した人が優先なのでよく利用させてもらった。

次に見たのは、ヨドバシ秋葉原の7Fの有隣堂だ。ここは、あらかじめ本が用意されており自由に見ることができる、さすがに置いている本の数は少ないので、店員のセンスが物を言う。琴線に触れる本もあり、何冊か購入した記憶がある。

先日、草加のリノベーションのプロジェクトの一環として、絵本を専門とする本屋とカフェが併設したところでコーヒーを飲んだ。
面白いのは、カフェのお客さんが若いままが多く、赤ちゃんも一緒だったことだ。
お客さんの選別をこうしてするのかと驚いた記憶がある。

本屋は本を売るという発想だけではいられないのかもしれない。結局は、人が手に取ってもらう必要があるし、本屋も人が手に取りたいという物を用意しなければならない。

■ カフェはコーヒーを飲むところなのか

大学時代、カフェと言えばジャズ・クラシックなどの音楽喫茶を想定していた気がする。
当然大学近くの喫茶店なので、レポートを書いたりする場所だったりする。
考えてみれば、今もあまり変わらない。

今時のカフェを眺めてみても、ビジネスマンが打ち合わせをしたり、パソコンを打っていたり、友達同士でおしゃべりをしたりしている。
カフェはコーヒーを楽しむ場所ではないかもしれない。
併設カフェを眺めていると、確かに「読書」を楽しんでいるお客さんがいる。

コーヒーは入場料と考えると、カフェにいる価値を提供するという発想に立つことが必要だろう。実際にこれを実践している企業(キーズカフェ)もいる。

■ 本を売らない本屋は実現できるか

「本との出会いが人生を豊かにする」と言うことであれば、本との出会いを提供する本屋というビジネスを再考できないだろうか。

今の本屋に不満なのは、売れ筋の本が平積みになっており、その他の本は置いていないか見つけにくい。結果として本との出会いを制限している。

ほんの見本を置いておき、そばに購入用のカードを置いておくとどうなるだろう。すでにプリンターのインクなどはこうしている。また、家電製品なども、見本を置いておき、製品は店員に持ってきてもらうというスタイルもある。

当然、店のレイアウトなども大きく変える必要がある。しかし、今の背表紙しか見えない本棚をITを駆使して変えることができる。想像してほしい、棚の前にはスクリーンがあり、横にスワイプすると本の装丁面を確認でき、タップすると、最初の数ページが読める。

購入する際にはタップすると自動的にキャッシュカードで決済され、当日もしくは翌日の配達される。現物がその場でほしければ、店舗での在庫確認ができ、店員に伝えれば用意してくれる。

待ち時間には併設されたカフェで待てば良い。コーヒーの割引券をもらえるので、コーヒーも楽しめる。

こうしたことは実現可能だ。
絵空事と思うなかれ。

プラスティック製品にも経路依存性はあるのか

■ 政府の調達ルールは突然出てくるわけではない

先日、「食堂で「使い捨てプラ」禁止に 省庁など方針 政府決定」という記事を見た。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO4105615008022019CR0000/

昨今のプラスティック製品への排除の傾向を受けて突然の政策のように見えるがそうとも言えない。

こうした政府の動きというのは一連の法律の枠組みの中で行われる。
念のため、記事の先頭部分を引用しておく。

2019/2/8
政府は8日、ストローや皿といった使い捨てプラスチック製品について、中央省庁など国の関連機関で営業する食堂で使うことを原則禁止する方針を決めた。テナントとして入るコンビニエンスストアに対しても、レジ袋などを環境に配慮した製品に切り替えるよう求める。使い捨てプラによる海洋汚染が世界的に深刻な問題になっており、政府も抑制の取り組みを強める。

同日午前の閣議で、環境に配慮した製品の調達を国に義務づける「グリーン購入法」の基本方針の見直しを決定した。4月以降の新たな契約から適用する。

原田義昭環境相は閣議後の記者会見で「地方公共団体や産業界にも理解を広めていきたい。国際的な動きに負けないように運用を厳しくしていきたい」と話した。

グリーン購入法自体は平成12年5月に循環型社会形成推進基本法の個別法のひとつとして「国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律(グリーン購入法)」が制定されたもので突然の物ではない。

また、すでに環境省はSDGsの推進も進めており、環境問題としても当然脱プラスティック製品に取り組むことは予想できる。

おそらくは、各方面にいる人々はある程度予想できたのではないだろうか。

■ 使い捨てプラスティックは経路依存性はあるのだろうか

問題は、これが市場構造を変えるかどうかだろう。

あるイノベーションがいくら優れていても浸透しない場合がある。よく言われるのが「経路依存性」である。
例として取り上げられることに「QWERTY」キーボードがある、パソコンにつながっているタイプの文字位置が左から「QWERTY」になってっているためにこの呼び名がある。

この配列は、人間工学的に最適な物ではなく、単に当時のタイプライターのハンマーが絡まないようにと言う配慮でできただけである。この配列にしなくてはいけない理由が当時のタイプライターが持っているハード的な制約であったので、これが解消された段階で、もっとタイプしやすい配列の変えることは可能であったが、すでに、タイプライターの製造ライン、タイプライターの学校のカリキュラムなどは、関連する事業ルートがこの「QWERTY」配列を前提にしてしまっていたので変えられないと言うことだったようだ。

これを経路依存性と呼ぶ。

さて、今回話題になった「使い捨てプラスティック製品」であるが、これが意外と多いのに気がつく。

ストローなどはその代表なのだが、コンビニの弁当などについてくるナイフやフォーク、惣菜を入れているトレイや蓋(ボックス型容器と言うらしい)、アイスコーヒーの蓋などがある。またレジ袋などもこれに含まれている。

これをなくすと言うことは相当難しいのではないかと思う。すでに生活スタイルの中に、こうした「使い捨て」の製品が入り込んでしまっている。レジ袋をなくす取り組みがなかなか進まないのもその理由だろう。

従って、「使い捨て」のこうした製品は無くならないだろう。
経路依存性が高そうだ。

■ イニベーションは業界を一変させる破壊力がある。

その代わり、プラスティックにはイノベーションが起きそうだ。
プラスティックの一番の代替品として考えられるのは紙だろう。

さすがに透明な紙は作れないが、そうでないもの(ナイフやフォーク、ストロー、トレイなど)は確実に代替できるかもしれない。紙の射出成形という新しい分野ができるかもしれない。

また、植物由来の材料でプラスティックの代替品が作れるかもしれない。
もっとも食べ物で食べ物以外の製品を作るのはあまり賛成できないが、何か手はあるかもしれない。
捨てていた貝殻からチョークを作り出したようなアイデアもほしい。

さて、こうした製品の構造が変わると既存のプラスティックに事業が依存していた企業は危機感を持たないといけない。
プラスティックの成形品を作っていたところはその仕事自体がなくなる恐れもある。
代替のプラスティックは強度や熱特性が異なるのであれば、例えばレジ袋などを作っている生産ラインを変えなくてはならないかもしれない。

資金が潤沢でない企業は持ちこたえられないかもしれない。
密かに、統廃合や新規企業の台頭があるかもしれない。

■ 他山の石と考えていると危険

かつてCDが世の中に出たときにレコード針をつくっていたナガオカは甘く見ていたかもしれない。あっという間にレコードはなくなり、レコード針は特別な需要担ってしまった。
音楽をCD等の媒体で購入するひとも少なくなっており、例えば私の息子はすべてダウンロードだ。

私は、すでにAmazonMusicで、聞きたいときに聴きたい曲を探して聴くスタイルになっている。

デジタルカメラはフィルム業界を壊滅させた。

身の回りを見ると、徐々に公衆電話や電車の切符売り場等は減ってきている。
情報収集では、雑誌や新聞をデジタルで確認する時代になっている。
レシピはネットで確認する。
スマフォがあれば目覚まし時計がいらない。

自分の事業が明日もあるという保証はない。
「経路依存性」などと安心してはいけない。