「考える」を習慣化することは難しい

サラリーマン経験を活かしての国際貢献~南アフリカ共和国でのJICA*派遣専門家としての経験を通して~

昨日、IC協会で表記のセミナーが開催された。
南アフリカでの人財育成の話だった。

ご多分に漏れず、教育の格差が失業を招き、結果として貧富の格差と犯罪率の高さを生み出すという構図は相変わらずのようだ。

治安は悪くないが隣の島マダガスカルも似たような構図かもしれない。未だに牛の力を借りた移動手段が自動車を持てない人たちの頼りになっている。

私自身は、JICAの専門家として活動していた友人もおり、また日本アイアイファンドでの関わりでアフリカなどの状況も多少は知っている。そのため、比較的すんなりと話を聞けた。

面白いと思ったのは、テーマとして、Implement、Improvement、Innovationという枠組みで、「考える」ための研修だったことだ、
どうやってつくるかを学ぶ、どうやったらよりうまくつくれるかを考える、その先にある革新性を考えると訳すべきだろうか。

文化的に「言われた通りにやれ」と言われ続けた人々に「自分で考えろ」というのは一朝一夕ではできないだろう。
しかし、これは日本でも同じことが言える。

整理・整頓・清潔について、かつて「なぜ必要なのですか?」と問いかけても、「規則ですから」という回答が来て驚いたことがある。

整理・整頓は「あるべきところに、それがなければ探す羽目になり、無駄な時間が発生する」
清潔は「機械の回りを汚れた状態を放置していると、油漏れが発生しても気がつかない恐れがあり、事故が起きるかもしれない」
という「なぜ」を考えておかないと、「ゴール」が設定できない。

と言う話をしたら驚かれた。

「考える」ことを日常化することは難しい。

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