科学的管理法

書棚をあさっていたら、しばらく前に手に入れた「科学的管理法」を見つけた。しっかり読んでいなかったと思い、読み返した。

○ マネジメントを管理と訳すべきではない

一般的に、テイラーの「科学的管理法」というと、土砂の性質に応じて最適な運搬作業量を算出して、シャベルの大きさを変えるといった、エキセントリックな話題が中心に紹介されている。

なるほど、確かにこのことが「科学的」という言葉に対応しているようであり、特定の作業のInputとOutputをコントロールすることから「管理」と訳してしまっているのかもしれない。

しかし、本書を通しで読むと、マネジメントに関する一般論が記載されていることがわかる。

本書の中で、マネジメントとの目的として
1.働き手を豊かにする
2.雇用主を反映させる
結果として、製品・サービスの値段が下がるので、利益享受の対象として消費者もいるとしている。

そのために、マネジメントの方法を、従来の「働き手が最大限の自主性を発揮して仕事に取組み、雇用主がその見返り特別なインセンティブを与える仕組み」から「課業管理を科学的に行う」ことを目指すとしている。

あくまでも科学的に課業を分析して作業の効率化を目指すのは手段にしか過ぎない。したがって、表題の「Scientific Management」は、「仕事を科学的に分析し最適な環境を構築することによって、経営管理を行うための考え方」とでもいうべき事柄を集約した言葉であり、単純に「科学的管理法」と訳すべきではない。

本書は奇抜で特別なことが記載されているわけではない。
それは、「科学的管理法は必ずしも、偉大な発明や道の驚くべき事実の発見を伴うわけではない(P162)」とあるように、現在では当たり前になっているIE的なアプローチを示しているに過ぎない。

それでも、本書が公開された時代背景を考えると画期的であったことは理解できる。結局は、革新というのは今を疑問に思って何かを変えてゆく活動の連続なのだろう。

○ システムとしての「科学的管理法」

P134に以下の記載がある。

有益な成果の数々は主に次のような点をよりどころにしていることがわかるだろう。

①働き手それぞれの判断に代えて科学を取り入れる。
②働き手が成り行きで仕事を選んで覚えようとするのではなく、会社の側で一人ひとりの人材を吟味、指導、育成した上で、つまり、ある意味で実験の対象とした上で科学的な視点から人選と能力開発を行う。
③各働き手に問題の解決を委ねるのではなく、マネージャー層が部下と密接に協力しながら、科学的な法則に沿って仕事を進める。

近年、マネジメントをシステムとして捉え、確実な成果を出すための仕組みを支えるモノというのは、概ねどの本でも同じ事が記載されている。

情報系での規範としてはCMMIがあるが、その中でプロセスを支えるモノは「知識・技術・ヒューマン」と捉えている。
最終的に生産活動に携わるモノが人である以上、人の性能ができばえを左右する。しかし前提として、それを実現できる技術が必要であり、その技術を適切にコントロールできる知識が必要になるという考え方だろう。

同じように、マネジメントシステムの要素として、「組織・機能」と「標準化された手順」、「仕事をする士気」がなければうまくゆかないと云われている。

○ 古典ではない

こうして改めて読み直してみると、今では存在しないような肉体労働を取り上げているが、マネジメントやIE等の原則を喝破しており、いまでも有効な考え方になる。
丁寧にデータを積み上げてゆくその姿勢は、KPIの開発姿勢にもつながる。
いまなお新鮮な気持ちで読める良書だと思う。

実践経営哲学(20180719)

7/18 JQAA講演会 講師:古望高芳氏(三方よしビジネスサポート研究所 所長)

7/18 JQAA講演会 講師:古望高芳氏(三方よしビジネスサポート研究所 所長)

 

昨日(2018年7月18日)に上記の講演会に行ってきた。

古望氏は、もともとはパナソニックの方で、松下氏の考え方を広く知らしめる活動をしている。氏の講演は、松下氏の哲学をわかりやすく説明するもので、経営者としてまだ迷っている方や、あるいは大手企業の取締役クラスの方が聞くと参考になりそうな話だ。

話の中心は、経営理念を大切にすること、人を大切にすること、モノづくりの前に人づくりをすることなど、普遍的な価値観の話が多かった。

こうした松下語録は書籍として普及しており、例えば「実践経営哲学」といった形で読むことができる。

 

ただし、「実践」という側面ではいろいろ考えさせられる。

例えば、「理念」を最優先させるといっているが、多くの企業の年度計画、中期経営計画は売り上げなどの財務データに終始している。

バランスドスコアカードと言いながら、プロセス革新の話や組織の学習の話は出てこない。

これは、システム開発における「仕様書」と「実装」のギャップに近いものがある。
現在のシステム開発は、かつてのウオーターフォール型の開発とはかなり異なってきている。
かつてのシステム開発は、仕様書の段階から細かい具体性が記述されているために、仕様書と設計書、実装のギャップがそれほどなかった。
仕様書の質が高ければ問題はほとんどなかった。

現在はどうだろう。
この仕様書にあたる部分が、抽象度が高くなってきている。そのため、実装が試行錯誤にならざるを得ず、いわゆるプロトタイプ開発のような手法が脚光を浴びることにもなる。

これは、経営管理にも当てはまる。
経営理念は抽象的であり、ビジョンといっても実装イメージを無視した形になっている。
したがって、ビジョンや理念から導き出されるミッション、あるいは戦略は唐突にならざるを得ず、戦術や課業コントロールに展開しているといっても、見た目は一貫性があったとしても、ブレークダウンするときに「発想が飛躍する」ことを避けられない。

そのため、例えば実践経営哲学に記載の「まずは経営理念を確立すること」を実践したとしても、実際の組織運営は会社ごとに異なり、それも何が正解かわからないという状況になる。

結局「まずは経営理念を確立すること」は必要条件ではあるが十分条件ではない。
実装技術をどう磨くかが課題となるだろう。

自己組織化と進化の理論(20180717)

1999年に初版本が発売されたこの本は、当時「複雑系」の第一人者であるカウフマンが著者となっている。

もともと複雑系は、自然の中の様々な動きや生命の神秘に迫ることを主眼とした研究分野だと理解している。
しかし、その取り扱っている分野は、企業・組織の行動原理に共通するものであり、より優れた組織内での人々の動きの研究にも応用できると参考図書として読んだことがある。

もっとも、その時には斜め読みだったのでほとんど記憶にない。
改めて読むと、なるほどと感じることがある。

第1章 無償の秩序

「生物学における非常に大きな謎は、生命が生まれてきたことであり、我々が目にする秩序が生じてきたことである。」で始まるこの説には、創発を「全体は部分の総和以上のものである」という言葉で表現している。

一般的に部分最適・全体最適という言葉が対応するが、事はそう単純ではない。
個々の活動は、その能力を100%出すわけではない。
様々な制約条件(例えば時間)があり、最適な選択や代替案の検討などもできないことがある。
これが、複数の人と話すと、多くの知見や考えるためのきっかけをつかむことができる。
個々の成果を寄せ集めて作る「総和」と、コミュニケーションとフィードバックの結果の「全体」ではアウトプットが異なる。

生命の誕生も「混沌」の中から生まれたというストーリーも、複雑な相互作用の結果としてみると組織も同じかもしれない。

大企業病というのは、結局は「部分の総和」が「全体最適」という考え方の行き着く先だというのであれば、これを防ぐための処方は昔から言われているように、組織内の活発な知の交流でしかない。

(20180717)

 

 

 

 

「事業を創る人」の大研究

今の事業が突然意味を無くしてしまう環境変化が起きうることを知っている。
「針のナガオカ」を思い出すとわかる。

「ナガオカ」の歴史は、レコードがCDに置き換わってしまった1980年代に激変したのではないだろうか。技術変化は、企業の生き方すら変えてしまうことを私たちは知っている。

製品のライフサイクルが短くなったことこともここ数十年で感じる、。
一つの商品がなくなると云うことではなく、何らかの観点で進化をしなければ生き残れないと云うことだろう。

もちろん懐古趣味を逆手にとった商品もあるが、常にモデルチェンジや消費者の好みに合わせた改変は行われている。

様々な意味で事業を新たに生み出す要請の圧力がある。
こうしたことを含めて「新事業」と考えると、この視点での書籍が少ないことに気がつく。

下記の書籍は、こうした視点での数少ないものになる。

著者の「中原淳」氏は、組織学習論などの本で少し知っており、研究者であることを承知している。単に、思いつきで本を書くのではなく、データに基づいて論を展開しており説得力がある。

この書では、新規事業を以下のように定義している。

既存事業を通じて蓄積された資産、市場、能力を活用しつつ、既存事業とは一線を画した新規ビジネスを創出する活動

新事業には、怪しげな都市伝説がある。
・ゼロベースで今までに何もないところから生み出される
・一部分の優秀な人材が会社の反対を押し切って成功を勝ち取る

結局ゼロベースで事業を興すというのは現実的でなく、今までの経営資源を使いながらでしか成果を出せる事業を出せないと云うことになる。
そのために何をしたら良いかは、この書籍を読んでほしい。

さて、そうした中で、一握りの優秀な人間が「おまえに任せた」といって成果を出せるかというと、それは幻想でしかない。著者も下記のように述べている。

経営者自らが新規事業にコミットし、優秀な若手社員とともに新規事業を創る、いわば「経営による率先垂範型プロジェクト」のほうが未来につながる新規事業が生まれる

多くの企業事例で、「新規事業アイデアコンテスト」のようなモノを開催していることが聞かれるが、ではそのうちどのぐらいが新規事業になるのか?

新規事業として始めたはずなのだが、一体どの程度寄与しているのか?

企業事例を見ると疑問符がつくこともある。

先の「都市伝説」では身も蓋もないことになり、企業にとっては何も役に立たないと感じていた。

この書ですべてが解決するわけではないが参考になる。

トリプルモニター

今年の春先に、デスクトップを廃止して、ノートパソコンをベースとした環境に変えた。
モニターは外付けで接続できるようにした。ダブルモニターだ。
27インチモニターも2万円を満たない金額で調達できたことも大きい。

27インチなので、作業画面が大きく問題は無いと思ったのだが、やはりなんとなく中途半端だ。
そこで、さらに拡張できないかと探していたら、下記を見つけた。

半信半疑であったが、とにかく試してみようと購入。
今日届いたので、早速接続。
おー!!!

これはなかなかいいかもしれない、

人事制度を変えさせる圧力

1.年をとるままに勤め上げるという幻想を捨てられないのか

若かったせいもあるだろうが、私は30歳で転職をし、その後安定した雇用関係を結んだ働き方をしたことがない。
最初の転職先は、1年ごとの契約で年俸制だった。
昨年度は何をしたか。今年度は何をするのかなどを話し合い契約を更新する。
年俸額は、他の社員とのバランスを考えて決定されている。必ずしも成果主義とは関係ない。単に報酬制度が「年俸制」であっただけで、給与の決め方はサラリーマンと大きく異なるわけではない。
それでも、仕事の範囲をある程度自分で決める世界に身を置いた。
そこは、5年ほど所属し、新たな領域の仕事をしたくて、知人と会社を興すことになる。
現在の(有)中野ソフトウエアサービスは1999年。45歳の時に起業し、今に至る。

必ずしも恵まれた状況ではなく、バブル崩壊やリーマンショック、震災などの間接的ではあるが影響を受けて四苦八苦している。
そうした中で、旧知と話をする時に「中野はいいよな!」という声を何度か聞いた。
当時は、彼らの方が年収も仕事も恵まれており不思議な気がしたが、なんとなくわかる。
自分の何かを犠牲にして会社という組織にいることの不満が現れたのかもしれない。

もっとも、その後定年まで勤め十分な退職金をもらい、継続雇用を約束されている彼らは今では私のようにならないで良かったと思っているかもしれない。

60歳まで雇用が約束され、不十分かもしれないが65歳まで雇用が約束されているその環境を手放すリスクは誰もおかさないだろう。

多くの人は、同じ会社で定年まで勤め上げると云うことから逃れられない。
一方で、3年内離職率は大卒で30%、転職率は毎年10%という数字は、ここ何十年の変わらない。一定程度の人材の流動が発生している。

にもかかわらず、雇用に関わる諸制度は法律にしろ会社が作る規定も、終身雇用を前提としている。
「年をとるままに勤め上げるという幻想」から逃れられないのは、政府や雇用者側にある。

2.解雇ができない雇用制度

「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」が平成24年に成立されている。
この法律の趣旨としては
・継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止
・継続雇用制度の対象者を雇用する企業の範囲の拡大
・義務違反の企業に対する公表規定の導入
・高年齢者雇用確保措置の実施および運用に関する指針の策定
等を柱としている。

「高齢者の就労促進の一環として、継続雇用制度の対象となる高年齢者につき事業主が定める基準に関する規定を削除し、高年齢者の雇用確保措置を充実させる」ことを主眼としており、65歳まで雇用を確保させるための仕組みといえる。

参考:高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律 関係資料
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002l15q-att/2r9852000002l19o.pdf

そのため、雇用者側の選択肢は、平成25年4月1日までに
①65歳以上までの定年引上げ
②基準を廃止して希望者全員を65歳まで継続して雇用する制度への制度改正
③定年の定めの廃止

の三つの選択肢があるが、大部分の企業は再雇用制度を選択していると云われている。
定年を設定する場合にも、注意事項が示されており(https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/model/dl/07.pdf)むやみな解雇ができないようになっている。

また、この法律の中で、目を引く部分は下記の通りである。

現在の高年齢者雇用安定法に基づく高年齢者雇用制度において、定年を定める場合には、60歳を下回ることができない(法第8条)。

結局、会社としては解雇権の乱用ができないために、どのような制度を設けようとも65歳までの雇用義務が発生する。
それも、60歳になったからと云って突然職務を変更することは訴訟リスクに発展する。

参考:再雇用で別業務は違法 名古屋高裁、トヨタに賠償命令
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28HB6_Y6A920C1000000/

3.人事制度の改訂への圧力

こうしたことへの対応は、人事制度特に就業規則などの雇用契約に関わる規定の見直しを求められることになる。

厚生労働省の下記のサイトを見ても、多くの注意点が列記されている。

高年齢者雇用安定法Q&A(高年齢者雇用確保措置関係)
https://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kourei2/qa/index.html

高年齢者の雇用
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/jigyounushi/page09.html

参考にしてほしい。

さて、こうしたサイトを眺めていると、結局は「人事制度の改訂」にたどり着く。
賃金制度にしても昇級や昇格の制度にしても、一定年齢をターゲットとした制度になっている。
単純に、50歳から55歳、55歳から60歳、60歳から65歳と働く期間が延びるごとにつぎはぎのような人事制度では限界だろう。

全く新しい人事制度のフレームを作る必要がある。

時間的な制約などもあり選択できなかったであろうが「定年の廃止」も真剣に考える必要がある。
そのときに、会社はどのような働き方を用意できるのだろう。

4.やめやすい会社への変身

定年の制限がなくなるというのはどんな意味を持っているのだろうか。
同じ会社・同じ職場・同じ同僚・同じ仕事を40年、50年続けるのだろうか。
もっと違う可能性を自分で探すことはしないのだろうか
私はいやだ。
もっといろいろな世界を見てみたい。
新しいことにチャレンジしたい。
こういった思いが、今の人事制度で実現することを阻んでいるなら、新しい人事制度を設けるべきだろう。
コンセプトは「やめたいといった時に会社が支援してくれる人事制度」がどうだろう。

さて、人事制度の機能の一つに「育成」がある。
よく、「即戦力」という言葉が使われるが、最初から使える社員は非常に少ない。
能力を発揮すると云っても、他者の力を借り手という方が多い。

(1)社内での育成ステージ
新卒であろうが中途であろうが一定期間は会社の庇護の元で仕事をする。
この期間(長かろうが短かろうが)においては会社の持ち出しになる。
成果に応じた報酬ではなく、いてくれるだけで良いので単純な報酬体系にし、資格等級なども設定する必要は無い。

(2)自立活動ステージ(前期)
他者と協力して、あるいは自分だけ成果を出せるようになったら、その成果に応じて報酬を出す。課長職などの管理業務であれば、その責任の重さで報酬を決めても良い。
最初の持ち出し分を回収するまでは、社員に雇用責務をもうけても良いだろう。(法律的にできるかどうかはともかく)
それを過ぎたら、継続を前提とした複数年契約を結んでも良いだろう。

(3)自立活動ステージ(後期)
この期間中には、社外への転出を含めてキャリアパスのデザインを社員にさせる必要がある。自身で起業するのであれば、能力開発だけでなく、社内起業制度の確立や資金調達の支援なども人事制度に入れておくこと。

また、社内でさらに上位の役職を目指すのであれば、そのための仕事の割り振りをしてあげる必要がある。

(4)組織貢献ステージ
自律して活動が期待されるステージになる。
社員がどのようなつてで報酬を得るのかを選択させる。
自ら事業を運営して報酬を得ても良い。
企業の取締役として出向いて報酬を得ても良い。
誰にもできない専門技術でそれに見合った報酬を要求しても良い。

さて、こうした報酬制度を考える際の注意点は下記の通りだ。

  • どのステージに何年という枠を当てはめる必要は無い。自分で決めても良いし、会社と話し合いながら決めても良い。ふさわしくないとなったら報酬が下がるだけだ。
    必ず、後工程のステージに行く必要は無い。「自立活動ステージ(前期)」でとどまる選択肢があっても良い
  • 会社へのロイヤリティを醸成すること。どんな働き方であっても会社への貢献が認められるように支援すること。働き方を社員が選択できるようにすることが必要だろう。

5.高齢者への対応を特別にしなくてはいけない理由はない

さて、高齢者のことを問題にする時に、「高齢者は弱者なので補助が必要である」「長年勤めてきているので見捨ててはだめだ」という倫理観があるなら、それは人事制度とは別の枠組みで考えるべきだろう。
それは、「生活保護」と大して変わらない。

弱者は高齢者だけではない。身体的なハンディキャップを持っている人や、いわゆる知的障害で健常者とは異なる領域で働かざるを得ない人たちがいる。こうした人たちが働ける職場環境を作ることは会社の責務だろう。
高年齢だから、簡易な仕事に回すという発想をやめなければ解決はしない。

その人にしかできない働き方を探すと云うことは「高齢者」だけを対象とすることではない。安易に「高齢者」と云うことを前面に出すべきではない。
能力開発は、現状の仕事に人を当てはめることではない。仕事のやり方自体の開発もしなくてはならない。
AIとIoTはそのためにある。

2018年7月3日

俺たちはロボットじゃぁない

AIは雇用を奪わない3つの理由
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/world/061200585/?P=2&ST=pc

シンギュラリティという言葉が注目を浴び始めてから盛んに云われるのは、「AIにより仕事を奪われる」という論調だ。

こうした議論は半分正しく、半分正しくない。

機械が人間の職を奪う時代になったら真っ先に窮地に立たされるのは放射線科医だ、と悲観論者たちは言う。

で始まる記事は、仕事を奪われる理由と奪われない理由が書かれている。
一つ目は、AIといっても、その範囲は限定的であること。
二つ目は、仕事というのは多様な作業で成り立っている。複雑性がある。

これは正しい。
ただし、これは今のところはAIにも限界があると云っているに過ぎない。
技術の進歩は、限界と多様性を超えてゆくだろう。

本質的な問題は、技術の進歩により「労働」が減ってゆくことだろうということだ。

私自身は、1979年に大学を卒業し、多くのことを見てきた。
IT業界から始まり、関連するいくつもの事業を見てきている。

無くなった仕事の代表は、電話交換手が引き合いに出される。
そのときには価値があったものが、環境が変わることでなくなったり価値が減少しているモノの枚挙にはいとまが無い。

・コーダー
かつてはシステム開発は上流から下流に落とし込んでゆく工程で、プログラマーが作る詳細設計をプログラムコードに展開する職業があった。
ほとんど死語になっている。
・タイピスト
英文だけでなく、和文も専用のタイプライターがあった。
行政文書や契約書は和文タイプが必要だった。
和文タイプライターは使いこなすためには技術が必要だった。
ワープロなどに完全に置き換えられている。

今は見なくなったモノとしては、エレベーターガール、信号に取って代わられた交通整理の警官。高速道路などの工事でライトを振るのも人形に変わっている。

田植えは田植え機に、旋盤加工などもマシニングセンターに変わっていっている。
農作物の仕分けや梱包も機械で代替できるようになるだろう。
人手でやっていることの多くはなくなる。
専門職も例外ではない。
行政書士も弁護士も、公認会計士もどんどん、ITに浸食されてゆくだろう。
彼らに頼まなくてはできないことが少なくなってゆく。

結局残る仕事は、「俺たちはロボットではない」と胸を張れる仕事にシフトしてゆく。
介護ロボットは、多くの役務を代替してくれるだろう。しかし、「人の温もり」や「甘えさせてくれる安心」は当面は無理だろう。

試しに、「人間が自分だけ」という世界を想像してみれば良い。

人事制度も、今社員がしている仕事がなくなるという前提で制度を考えてゆく必要がある。
成果主義と云っているが、成果はAIが生み出してくれることになる。
AIに何を頼むのかを考える仕事だけがの残るかもしれない。

社会や文化に思いをはせることができる人だけが残るとしたら、どんな育成をしたら良いだろう。会社は、第2の学校機関という選択肢もある。

1.Satisfactionを誤解していないか

先日、読んだ本

この本は、満足度と幸福度をテーマにしている書籍で、会社とは何かを考えさせてくれる書籍だ。

その中で、「顧客満足度」に関して以下の記述がある。

満足かそうでないかはどのような基準で判断できるかというと、”事前期待”を超えられるか否かになります

これについては、確かにそうなのだが、私の考えと少し異なるので少し文章を作成した。

■ Satisfactionの訳

社員満足を、Employee Satisfaction
顧客満足を、Customer Satisfaction

と、Satisfactionを満足と訳す。

社員満足と日本語で考えているうちは良かったのだがそうもいかない。
ISOの審査員になった時に、先輩に注意された。
「英訳なので原文をきちんと見るように」と。

Satisfactionの意味を英英辞典で見るといくつかの例が出ているが、以下が端的かなと思う。

”act of fulfilling a desire or need or appetite”

直訳すれば、「欲望、必要、食欲を満たすための行動」となる。

少し曖昧なので、先輩に尋ねたところ
「要は、約束したモノが出てくることだよ」
「満足度100%というのは約束が守られたことで、それ以上を求めているわけではない」
と説明された。

あくまでも、最低限の約束を満たしているのかを確認する作業がES、CSの本来の趣旨だろう。

なんとなく「期待以上のモノ」が提供されないと「満足度が上がらない」と考えているのはおかしなことだとわかる。ES、CSは無制限の奉仕を求めていると勘違いしやすい。

では、期待以上のモノは何かを調査することは意味が無いかといえばそんなことはない。ただし、ES調査、CS調査をする際に、それは「約束したモノ」なのか「期待されているモノ」なのかを区別する必要がある。

■ 約束したモノ

社員に対しては、「働く環境」や「報い方」などが対象となるだろう。
人事制度(教育、配置ローテーション、昇級・昇格、賃金、福利厚生)全般が関わる。
また、法令遵守や上司部下との良好な関係、組織との価値観の共有なども相互に約束したモノだろう。暗黙の部分があるものの対象となる。

ビジネスパートナーとの間でも同じとがいえる。
QCDが担保されているのかが重要な視点になるが、それ以外にも下記の視点が必要だろう。
・継続して製品サービスを提供できるか
・当社の経営理念などに賛同しているか
これをおろそかにしていると、突然のトラブルに見舞われる恐れがある。
ビジネスパートナーの満足度を調査している会社はほとんど無いが、本来はするべきだろう。お互いが何を期待しているかを判断する必要がある。

B2Bではどうだろう。
・QCD特に納期が守られているか
・不良品を納品していないか
・クレーム対応は適切に行われているか
・担当者とは密に連絡を取っているか
・新しい提案を顧客にしているか
等が考えられる。

B2Cでは、すこしやっかいかもしれない。
確実に見れるモノは直接的な評価は売り上げになる。

買ってくれなくなった顧客は何も話をしてくれない。
来なくなった顧客が事前に理由を言ってもらえるとは思えない。
よくレストランやホテルなどにアンケートが設置されているが役に立っているのだろうか。

それでも、提供を約束しているモノ(接客の態度や時間、ホテルならばリネン)について訊ねるのは悪いことではない。

■ 期待されているモノ

期待されるモノは少し抽象的になる。
情緒的に聞く方がかえって良いだろう。

「今やっている仕事は、あなたにとって価値があるか」
「この仕事を長くやっていたいか」
「自分の意見を上司は聞いてくれるか」
「仕事上のストレスはないか」

など、モチベーションを左右する事柄を中心に聞くと良いかもしれない。
期待は、「感情的」なものであり、そのときに回答する立場の人が置かれてる状況に左右される。

質問項目にすることは反対しないが、下記のように「ではどうするのか」につながらない恐れがある。

■ Satisfactionの向こう側

ES調査にしても、CS調査にしても興味本位の質問をするべきではない。
興味本位というのは、「単に知りたい」という欲求を満たす質問である。
それはどんな質問か?
こう聞いてみれば良い。

「この質問に対して意図した結果でない場合には施策をうつのか」

満足度を聞いて、その後にどうするのかも考えておく必要がある。
状態を知りたいだけで、人事施策やその他の行動計画に何ら影響を及ぼさないのであれば聞くべきでない。
回答した人間にとっては、回答したことでなんとかしてくれるという期待が起きるからだ。
何もしてくれないとしたら、調査自体への信頼性がなくなる。

さて、「満足か?」を聞いてどうするか?
その先を考えない、ES調査、CS調査はすべきではない。

2018年7月1日