わかり合えるという幻想


わかり合えるというのは幻想である

■対話が重要という言葉の裏側

厳密に言えば「コミュニケーション」と「対話」は異なる。コミュニケションは自分の意思を相手に伝え従わせる行為であり、対話はお互いの違いを理解して何かを発見する行為である。対話の前提は、「お互いに真理を知らない」である。

コミュニケーションが自分の意思を伝えることである以上、相手が「同意」したかどうかは重要ではない。上位と下位が存在するだけである。もし話し合いがどのようなものであれば、「わかり合える」は重要ではない。「従うことに同意した」かが重要である。

そのような状況で「話し合えば分かる」は幻想である。
わかり合うことが難しいのであれば、我々は「お互いを理解するため」の「対話」を続けなければならない。そして、永遠に「わかり合えることはない」ことを念頭に置きながら、それに近づくための努力を惜しんではならない。

相手は自分と異なると云うことを受け入れなければ先に進めない

■「自分は悪くない」の先にあるもの

○プーチン氏 ウクライナ侵攻は「悲劇」「止める方法を考えなければ」G20首脳会議
2023/11/23

 ロシアはウクライナとの和平交渉を拒否したことはなく、ウクライナが交渉を拒否していると述べ、和平交渉が行われない原因はウクライナ側にあるという従来の主張を繰り返しました。
ロシアとウクライナの停戦交渉は、ブチャでの大量虐殺の発覚後に中止されました。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000325332.html

○「民間人犠牲の責任はハマス」 停戦は「蛮行へ降伏」 ネタニヤフ氏
2023年10月31日

ネタニヤフ氏は記者会見で「我々に停戦を求めることは、ハマスやテロ、蛮行に降伏するという意味だ」と強調。国連総会で「人道的休戦」を求める決議が採択されるなど、国際社会からイスラエルに対し戦闘停止を望む声が相次ぐが、ハマス消滅まで攻撃をやめない方針を再び示した。

https://www.asahi.com/articles/ASRB024LLRBZUHBI037.html

上記の記事に対する「善・悪」に基づいた評価はしない。
問題視するのは「自分は悪くない。問題の責任は全て相手にある」は、対話にもならないし、ましてやコミュニケーションの成立もできない。

こうした思考の先には、問題の認識すら異なり話し合いもできない。
ウクライナの問題もイスラエルの問題も朝鮮半島の問題も解決されることはないだろう。

■可謬主義

可謬主義(かびゅうしゅぎ、英: Fallibilism)は、「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という哲学上の学説。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%AC%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

可謬主義では、「自分の主張は絶対である」と決めつけず、なんらかの改良の余地が残されていると思い、思考停止にならないよう戒めることを主張します。

とあり、自戒の意味を込めて意識するようにしている。なぜならば、ヒトは自分自身が正義だという思い込みで取り返しのつかないことをする性質を持っていると思っている

自分が正義だと信じている人間とわかり合えるという幻想は危険である。

(2023/11/26)