すでにあちこちで議論されていると思うが、定年という問題を軸に少し私論を。
議論が未完なので改定することもあり得る。
2024/01/10
■定年延長の取り組み
現在でも、雇用延長への取り組みは続いていると思われる。
高年齢者雇用安定法では、企業は60歳未満の定年制を禁止し、原則65歳まで希望する労働者全員を下記のいずれかの方法で雇用する義務を定めている。
(1)60歳から64歳までの定年制を導入している企業の場合、定年を65歳に引き上げる
(2)定年制を廃止する
(3)65歳までの継続雇用制度(勤務延長制度・再雇用制度)を導入する
実のところ、「(3)65歳までの継続雇用制度(勤務延長制度・再雇用制度)を導入する」が多い気がするが、いずれ70歳までの延長、そしてそもそもの「定年」がなくなる気がしている。
その際に問題が発生するのが「境界」での処遇の変更である。
以前から問題になっていたと感じることに、
①50歳での役職定年
ある日突然役職を剥奪される。それは能力とは無関係であり、突然の役職の剥奪は「自分は会社にとって価値がないのだ」という思いを生み出し、モチベーションの低下を招く。
②55歳あるいは60歳ヘムケテもしくはそこからの賃金カット
能力の有無にかかわらず、あるいは成果を算出しにくい職種への変更を強制し、現役時代の半分程度を目指す企業も多かった。納得性の確保は難しく「同じ仕事なのに」という不満を生み出す。
③嘱託制度
雇用義務のない年齢(65歳以降、あるいは70歳以降)には、嘱託として個人事業主を同じ扱いにし、保険や健康管理の責務の放棄や「偽装下請け」の懸念のある事例もあると聞く。
こうした、「境界」に係わる制度設計ができていないと紛争のリスクが生じる。
それは、合法と判断されようが企業にとってプラスにはならない。
(例)
(1)長澤運輸事件
正社員と職務内容が同一であるにもかかわらず、定年後再雇用したドライバーの賃金を引き下げたが、年収額は定年退職前の79%程度であること、老齢厚生年金の支給により生活の補填が受けられること、その老齢厚生年金の支給までは「調整給」を支給していることなどにより不合理ではないとした。
(2)名古屋自動車学校事件
原告の基本給を退職前の45%に減額したことは、60歳の定年時に退職金を受け取り、高年齢雇用継続基本給付金と報酬比例部分の老齢厚生年金を受給できたとしても、定年前と職務内容・配置の変更範囲には変更がないこと、基本給が年功賃金で決定している若手社員の基本給よりも低いことなどを理由に、労働者の生活保障の観点から見て定年退職時の基本給の60%を下回ること、賞与も定年退職時の基本給の60%を基礎として算出した額を下回るのは違法としている。
(2)の判決は基本給の減額は定年時の60%が限度であると明確化したことで、企業が定年再雇用者の賃金額を決めるひとつの目安と思われたが、その後最高裁は「基本給及び賞与の性質と支給目的、また労使交渉の具体的な経緯を考慮していないこと」を理由に原審(第二審)の判決を破棄し差し戻した。本件の判決を踏まえて、定年退職後の再雇用者の基本給や賞与の見直しを行う企業が増えると思われる。
https://gendai.media/articles/-/116358?imp=0
■真剣に考えるべき「40歳定年制」
40歳定年制が話題になったのは平成24年7月6日の「フロンティア分科会報告書」であり、その中に下記の記載がある。
さらに、企業内人材の新陳代謝を促す柔軟な雇用ルールを整備するとともに、教育・再教育の場を充実させ、勤労者だれもがいつでも学び直しができ、人生のさまざまなライフステージや環境に応じて、ふさわしい働き場所が得られるようにする。具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。
場合によっては、40歳定年制や50歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか。
もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。こうした雇用の流動化は、能力活用の生産性を高め企業の競争力を上げると同時に、高齢者を含めて個々人に働き甲斐を提供することになる。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/policy09/pdf/20120706/hokoku1.pdf
フロンティア分科会は
日本人が「希望と誇りある日本」を取り戻す上で重要なのは、中長期的に目指すべき国の将来像を示すことであり、その実現のため、切り拓いていくべき新たなフロンティアを提示することです。フロンティア分科会は、2050年までを視野に入れた我が国の将来像を描くとともに、国際的・社会的環境が大きく変化すると予想される2025年に向けた方向性を検討し、その内容を中長期ビジョンとして取りまとめていきます。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/index.html
とある。国家戦略という漠然としたものではあるが一定の識者が提言するものであり一考の価値がある。それは以下の点において再考すべきであろうと考える。
①年齢とともに能力が上がるという幻想
経験こそが組織能力の源泉であると言うことは、まだIT技術のサポートもなく、作業標準もない時代であれば当然であり、ある種の先輩・後輩、師匠と弟子という関係際は構築できたであろう。今やそれは幻想である。もちろん経験を軽視して良いわけではないが、技能や知識は常にアップデータ押し無ければならない。年齢給の哲学が「年齢とともに能力が上がる」というのであればそれは幻想である。
②昨日の知見と技術で今日の仕事が対応できるという幻想
VUCAの時代であると言われている。機能までの技術が通用しなくなるかもしれない。新しい技術に順応しなければならなくなるだろう。すでにChatGTPの活用は必須になりつつある。リスキルは特別なことではない。日常の業務である。
③安定した組織構造と言う幻想
事業部門の再構築(リストラ)は頻繁に起きるだろう。組織運営は上下関係・上意下達で行なわれるより、パートナーが集まって実施するチーム活動が主流になるかもしれない。その時には肩書きは意味が無くなる。役職にしがみつく出世欲は未来を見る上で邪魔になる。
こうした中で、定期的に「ジョブチェンジ」を求める40歳定年制は現実解としてみるべきである。
■コンセプト例
もちろん、むやみに40歳定年制を入れろとは云っていない。細部まで慎重に設計された統合された人事制度は必要である。
かつて、この40歳定年制を前提とした人事制度を提案したことがある。
賃金制度しか関わらなかったが、主に以下のコンセプトによる。
①20代から30歳半ば
主に組織からの指示命令系統の中で業務をこなす。
賃金体系は従来型の、年齢・勤続、職種・職能などで決定される。
30歳ぐらいから次のステージにどう向き合うのかのキャリア設計をする。
②30歳半ばから50歳
徐々に自分の技術力を活かし、高い成果を出すことが期待されるステージ。
リーダーとしての組織運営をする。徐々に成果給的な要素を強くする。業績に対しコミットし、これに基づいて報酬が決定される。
③50歳以上
基本的には個人事業主として組織と対等に付き合う。契約期間は複数年でも単年度でも双方が合意すれば自由に設定する。自己研鑽は自身の責任で行なう。ただし、教育の支援は組織側が行なう。無責任な関係性は認めない。
こうした制度設計は、既存従業員(現在50歳以上の人)からは不安の声が上がり、移行措置を提示しても理解されずに立ち消えになった。
全ての人が上記の枠組みで働けないかもしれないが、10年、20年のスパンの中で自分自身のキャリアプランを構築できる技術を持つべきである。さもないと、定年間近になってから足下をすくわれかねない。
シミュレーションをしながら丁寧な制度設計をすべきである。そして、どこまで行ってもこの制度に乗れない人々もいることも配慮すべきである。
■退職金という概念
こうした人事制度を設計しようとした場合には、従来の常識的なことは変えないといけなくなるだろう。例えば「退職金」というものがその代表格であろう。従来の退職金は「長年勤めてくれた」ということへの慰労金の性格が強い。それはポイント制退職金であっても,その中に年齢や勤続年数でのポイントが含まれていれば同じである。
しかし、40歳定年制でキャリアプランが個人個人で設計されると云うことは、会社からの離脱復帰なども考慮することが必要になる。さもないと、ガラパゴス化した技術者だけの会社になってしむからだ。そのためには、退職金という概念は辞めるべきである。
その代わり、貯蓄型のストックオプションのようなものを設計しても良い。
個人毎の働き方を支援するという意味では、一つの会社に一つの人事制度という考え方自体も帰る必要があるかもしれない。
■正解はない
実際に40歳定年制、あるいは定年廃止に対応するための正解となる人事制度はないだろう。なぜならば、これらはいずれも「働き方を自分で選択する」こをと求める。それは、働く人々に自覚を求めることである。会社が用意したキャリアプランではないものを自分たちで設計し決定しなければならない。そうしないと、会社都合で簡単にクビを切られてしまう。
企業がこれから設計する人事制度は「柔軟性」と「納得性」に留意する必要がある。したがって、人事制度には正解がなく、試行錯誤を伴うことを覚悟すべきである。
これは、「人事部門」に自ら思考することを求める。思考を巡らせることが必要だ。物事を様々視点で眺めること、人の行動や彼らの何気ない会話、普段見ている社内の光景なども観察し、変化を感じ取りその意味を探る。
(2024/01/09)