賃金制度の限界

柳川範之氏の著書「日本成長戦略40歳定年制」を読んでみた。

表紙に踊る「経済と雇用の心配がなくなる日」ということには賛同できないが、会社は、社員をその生涯を通じて養い続けることはできないということには納得する。
おそらくどの時代でもそうなのだろうが、会社を取り巻く環境はどんどん変わってゆく。その中で生き残るためにはけるべきものは変え、変えてはいけないものは変えない戦略をとらざるを得ない。すべてがうまくゆくわけではない。東芝の原子力事業への取り組みは結果として失敗した戦略・戦術の結果なのだと思う。失敗すれば従業員の解雇という選択肢をとらざるを得ない。従業員の永続的な雇用を保証することはできない。

何らかの形で、従業員の再編ということが余儀なくさせられた時に会社側、従業員側は何をするべきなのだろうか?

BS1スペシャル「雇用は守れるか~アメリカ ラストベルトの労働者たち~」を見た。
背景は、メキシコへの移転を決めた会社に対し、雇用を守るために労働組合が様々な交渉をすること。結果としては雇用をも守ることは難しいことなどが描かれている。
いろいろなテーマが含まれている。
・トランプ大統領が公約を守れるのか
・AIは雇用を奪うのか
など。
・トランプ大統領の圧力で、移転を撤回した企業も従業員の縮小を計画していること
・オートメーションでは品質は守れないと従業員がつぶやいていること
なども記憶に残っている。
それでも印象的だったのは、同じ会社・同じ職場・同じ仕事で20年以上もい続けることに何も疑問を抱かないことや、転職を今の保有技術にこだわることなどがあった。
機械に接してきたプライドもあることはわかるが、その同じ技術で今後も雇用を探し続けることに違和感があった。

会社に入社したときから蓄積してきた固有技術だけで30年も40年も雇用を維持できるものだろうか? なぜ、AIを活用した工場で求められる技術の習得をしないのだろう?
これは、会社と従業員の相互の関係性にあるのかもしれない。

番組を見るまでもなく、アメリカ映画や小説などから、会社側は従業員に適切な能力(資格)と実績を求めている。当然実績が上がり経験に裏打ちされた能力があれば昇給や昇格が約束される。
しかし、その中には積極的な能力開発という概念が希薄な気がする。
また、従業員側も積極的なキャリアプランを自分で描かない限り何も変わらない。単に「解雇反対」しか叫ぶ方法がなくなってくる。
もっとも、自分のキャリアを考える層は、働いてお金を貯め、大学に行き資格を取ったラもっと良い会社に就職するというスタイルもいると聞く。
会社側が簡単にレイオフできるのと同様に、雇われる側も自分のキャリアを活かせる道を探すことができる。
かつて「クレイマークレイマー」という映画の中で主人公が自分のキャリアを武器により報酬の良い会社に移るシーンが思い出される。

今の賃金制度は、年功序列か能力主義かは別にして、その構成が大きく変わることはない。年齢給は入社したときから退職するまでの年齢になるし、いわゆる号棒表も職能によって金額が決まる。職能は一般的に資格等級に関連付けされる。資格等級は年齢や経験によって決まってくるので、比率はともかく、年功賃金と業績や能力賃金で構成され、ひとつの体系で構成される。
一本の賃金カーブで表現される。
この方式では、社員の終身雇用が前提であり、会社も社員もいったん決めたレールを外れることはできない。したがって、このレールを維持できなければまとめて解雇するしか手はなくなってくる。あるいは、負担になるある階層(例えば40代後半の管理層)をターゲットとしてリストラせざるを得なくなってしまう。結果として労働法違反になる。

これは、会社側も従業員も幸せになれるはずがない。
硬直化した賃金制度に代わる発想が必要なのではないか?
これが最初の話題となる。

さて、このクロスレポートプロジェクトでの「賃金制度」についての最初のテーマは二つになる。
(1)今の賃金制度をそのまま続けたらどうなるのか?
(2)新しい概念の賃金制度とはどのようなものか?

まずは。
2017年5月16日

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