マダガスカル通信・20171024

2017年10月24日付で日本アイアイファンド代表の島先生から長文のメールが来ました。

この題のニュースでマダガスカルでペストが流行しているとのニュースが流れ心配していましたが、当事者は何事もなかったように暢気です。

政情不安だろうと何だろうと自分の信念で動く島先生なので、政府との交渉もタフな一面を見せて頑張っていることだと思います。

今回は写真がついていません。残念!

アイアイファンドの皆さま

今回マダガスカルでの仕事は無事完了いたしました。

時間軸で報告すると、第一は遠藤教授をアシストしての将来計画で、教授が到着した9月26日(実際には翌日早朝、悪徳警官に深夜2回もゆすられたそうですが)に始まりました。遠藤教授はアンタナナリヴ大学、日本大使館、ジャイカ事務所と精力的にまわって、10月2日に日本へ出発。あとは私とアジャさんで、政府回りをし、アンタナナリヴ大学アジャリニナ教授とフェリックス准教授に助けられ、10月16日までという日限の限られたマダガスカル政府提出文書も無事、10月13日金曜日、大使館の仕事が終了する午後4時にあと30分というところで、マダガスカル外務省が日本大使館に届けたことを確認しました(なぜ厳密な時刻まで分かるのか?については、部外秘となっております)。

第二は、東大博物館の竹田博士のアンモナイト研究のアシストでした。彼は10月4日に到着しました(迎えに行く車が前輪をパンク、前回濱口さんから四つのタイヤとも破裂したので、安いタイヤに取り替えておきました、という伝言をこの事件で思い出し、予備のタイヤも明らかに膨れてゆらゆらしているので、安いタイヤで大丈夫か、と)。その夜すぐにブラバト(鉱山所有者)宅で、マダガスカル人通訳アジャさん、ブラバト側のフィディ現地案内人というメンバーで会談。ロウソクの火を囲んでの会談は、一種山賊の相談会(そういうものがあるとすれば)的雰囲気でした。ともあれ、これで現地へ行く道筋はできたのですが、ブラバト側は政府発行の許可証がないと現地を通行するのがむつかしいというので、ここから七転八倒の政府交渉が始まりでした。

翌5日、遠藤プロジェクトと竹田プロジェクトの成否をかけてアンタナナリヴ大学へ行き、フェリックスと相談したのですが、不調。どちらも翌日が金曜日なので、動きなし、と見極め、10月6日、アンジアマンギラーナ現地予備調査へ出発と決定。

アンジアマンギラーナ予備調査後、数日は大学、チンバザザ動植物園関係で現地調査のための書類整備に走り回るも不調のため、ついに意を決して、10月13日、ブルノーとフィディなる現地案内人をつけ、竹田さんを現地へ送り出しました。現地では「アンモナイトなんて一言も言わない。ひたすら、日本、マダガスカル国際協力生物相調査で来た、アイアイがいるはず」と言ってと。

この調査の結果、実際に竹田さんの行った場所の先には、密林があり、アイアイの可能性もあることがブルノーから報告されました。

ブルノー曰く「そこへは、四駆の車も行けない。歩いていくしかない。しかし、だからこそ、自然の林が残されているのだ。私は行けるぞ(金さえあれば)、雨季でもいつでも(金さえあれば)。ドクター、行こう(金持ってきて)!」

竹田さんはアンモナイトを含む貴重な標本を持ち帰り、そこから今度は、輸出許可の政府交渉が始まりました。

10月18日、鉱山省で許可の手続きを頼み、意外にもすんなりと標本を持ち出すことができることになりました。ブルノーの仕事はここまでで、最後の最後はアジャさんが竹田さんの出国まで見送ることになっています。

かくて、マダガスカル生物相研究に全く新しい1頁を開くことになる竹田プロジェクトは堂々と船出したわけです。ブルノーはそのビデオを見せてくれましたが、やはりすごいところです(詳細は部外秘:今回こればっかりだなあ!)。

第三は、アンジアマンギラーナ調査。10月6日から土日をはさんだ月曜日9日までの短期間のこれが予備調査で、これに続いて竹田さんとブルノー組、アジャさんは単独で、本格的に出発することになりました(このあたりの日程をぼかしているのは、部外秘のため)。

現地では、アンタナナリヴ大学のニコがアイアイの研究に入っていたので、彼と1年ぶりに会うことができ、そのデータを見せてもらったこと、アイアイについてまったく新しい情報を得たことは、先に報告したとおりです。

また、植林地では濱口方式、苗畑では石原方式がそれぞれ決定的な成果をあげ、これで胸を張って、熱帯乾燥地帯でのラミーのような水源喬木を育てる技術を確立した、と宣言できます。

2010年3月に赤松さんがラミーの種子を苗畑に作り、その成果を10月に確認して以来、現地とアンタナナリヴでラミーの試験的植林が始まったのですが、その植林を大規模に現実化する方策を、石原、濱口方式は開発したと言えます。

また、チンバザザ動植物園と事務所庭のラミーが19歳となり、あと数年、早ければ来年にも結実すれば、種子供給が自前でできることになります。

アジャさんの現地作業は、こちらの出発直前まで続き、いい加減に切り上げて報告してほしいと頼んだほどでした。やはり、植林地はその外囲いがむつかしいのです。植樹木の保護のため、植林地の宣言のためにも外囲いの柵の建設は必要なのですが、マダガスカルではこれを壊すのも日常なので、対策が常時必要です。しかし、これはいわば、やればできる作業で、新しい技術開発があったので、濱口さんたち30歳台のアイアイファンドメンバーの活躍場所は、広がるだろうなあ、と(こちら、彼らの倍以上の年齢の世代としてはねえ)。

また、今回ニコがアジャさんと協力して環境森林局長(ニコの叔父さん)から直接、柵用の木と竹の伐採許可をとることもでき、かくて、地元、研究者、地元役所との関係も円滑に進むようになったことは、特筆すべきことでした。

第四は、マダガスカルアイアイファンド(MAF)との関係でした。これは昨年以来、あれこれの問題でぎくしゃくが続いていました。しかし、10月11日、18日とMAF代表のジルベールと会って、まったく問題なく解決しました。

「MAFはアンジアマンギラーナでのNAFの活動をありがたいと思っているし、今までと同様に今後も協力する」と確言し、「私は修士論文を通してくれ、日本に行かせてくれたあなたのことを忘れないし、私のことも忘れないでほしい」と言ってくれました。彼が今までの私たちの関係を今でも大切にしていることを確認できたのは、非常にうれしいことでした。

現在、ジルベールはチンバザザ動植物園に研究員として勤務し、博士号を取得しているので、これから10年間は高等教育省で働くことができる、とのことでした。彼の事務所は東京動物園協会の資金で立てたアイアイ繁殖棟で、秘書さんがひとりついています。私たちはここで会議をすることもできました。クローディーヌさんはチンバザザ動植物園を離れ、修士号を取ったのでアンタナナリヴ大学で講師として活動しているとのことでした。

また、彼の奥さんエリゼットさん(植物学、博士?)はマジュンガ大学にいて、娘さんは学長秘書だとのこと。これからマジュンガ州での活動が広がるときに、ちょうどよい人材がいることになります。

第五、マジュンガ州のアイアイ。これは竹田・ブルノー調査隊が確認した場所ですが、まだまったく未踏査の地域です。この正確な場所については、部外秘となっております(例によって)。

ブルノーの言葉に触発されて、「行くか!うーむ」と。

フクロウは長期間ラミーの木に泊まっては、また出発するという様子で、夕闇の中を出発する前に全身をよく見せてくれるのが、うれしいところです。

人間の勝手な思い込みと植樹が、フクロウにも役立つというのは、生命の不思議を感じる瞬間です。マダガスカルを出発するにあたって、こういう隣人たちがいるというのは、頼もしいかぎりです。

さて、次回は帰国してからの報告となります。また、ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします。

最後になりましたが、ブルノーが失った機材を補てんしようと、日本アイアイファンドの皆さまからカメラなど多大なご協力をいただき、ほんとうにありがとうございました。

本人はのんきですから、受け渡しの写真を撮っただけですが、まあ、感謝していると思います。山吉さんのニコンをいれるサックをさっそく購入して、自慢げに見せてくれました。

巷ではマダガスカルで流行るペストで、あれこれ評判になっているようです。佐藤さんからご心配のメールがあり、つい悪乗りして、路傍に倒れている人多数、などと書きましたが、むろん路傍に寝ている人がいるのは、マダガスカルの昔からで、今に始まったことでもなく、ペストはさすがに初体験ですが、コレラはしょっちゅうで、その流行の最中に日本系商社の現地職員がチフスで倒れたという事もありました。

今では、これらの細菌性の病気は、ほとんど力を持ちません。大丈夫、たぶん。

島 泰三

 

日本アイアイファンドはマダガスカルにあるアイアイファンドと協力して、植林事業などをとして、本来のマダガスカルの自然環境に戻したいと思って活動しています。皆さんにも興味を持っていただけるとありがたいです。

ホームページは http://www.ayeaye-fund.jp/ です。

NGOです。資金の裏付けはあまりありません。御多分に漏れず、お金がなくて苦労しています。取り組みに賛同して寄付してくれる人がいりとありがたいです。

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